講座詳細情報
申し込み締切日:2012-09-30 / 日本史:その他教養 / 学内講座コード:830114
歴史点描・大江戸の歴史風景
- 開催日
- 10/01~12/10(月)
- 講座回数
- 10
- 時間
- 15:00~16:30
- 講座区分
- 後期
- 入学金
- 8,000円
- 受講料
- 23,000円
- 定員
- -
- 補足
※この講座の申し込みは既に締め切りました。
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講座詳細
大江戸の生活・文化・経済構造について、周辺地域との諸関係史から深く理解します。
時系列的な通史というよりは、江戸の各分野史の理解を深めていただく講座です。
講師陣は、博物館・歴史館の企画展示、自治体史や特定分野史の執筆・編さん、および埋蔵文化財の発掘調査などに従事する若手・中堅の研究者です。それぞれ特定専門テーマを掲げて、最前線の史料や画像などをもとに、大江戸研究の現在を具体的に解説・点描します。
※この講座は2012年度春講座と同一のテーマで実施します。
【1】10/1 火災への備え
加藤 貴 早稲田大学講師
江戸では頻繁に火災が発生し、神田・日本橋・京橋の中心部の町々では、平均すると6年に1度の割合で焼けたことになります。江戸で暮らす人びとにとっては火災はのがれられないことだったのですが、「火事と喧嘩は江戸の華」と気楽に考えていたわけでもありません。幕府から庶民にいたるまでさまざまな形で火災に備えていました。そうしたことを、幕府法令、大名屋敷の防火策、商家の防火策や、防火のマニュアルブックからみていくことにします。
【2】10/15 興行のしくみ―幕府の芝居小屋支配―
加藤征治 葛飾区教育委員会調査委員
大芝居とよばれる町奉行所公認の芝居小屋は、屋根に櫓をあげることで、自分たちの正当性をアピールします。これは、三都いずれの大芝居も同じです。しかし、芝居経営の仕組みについては、江戸と上方の相違がとりあげられています。この相違がなぜ起きたのかを、幕府の芝居小屋に対する支配の考え方からみていきます。
【3】10/22 女性の駆け込み訴訟
長島淳子 国士舘大学講師
江戸時代には様々な裁判が行われましたが、女性が訴訟の主体になることは珍しいことといえます。19世紀初め、武州農村の女性が自分の身に起きた事件の解決のため単身で出府。江戸馬喰町の公事師に依頼して訴状を作り、勘定奉行榊原主計頭役所に訴えを起こしました。事件を明らかにしながら、裁判がどのような結果をもたらしたかを追っていきます。
【4】10/29 江戸詰はつらいよ―家中・奉公人の養生と介護―
下重 清 東海大学講師
17世紀中ごろ、小田原藩の殿様は幕府の老中でもあった稲葉正則。
江戸藩邸で働く藩士や武家奉公人の勤務状況もこもごも。単身赴任者の病気煩いや老母をはじめとする身内の介護・扶養は悩みの種でした。「稲葉日記」をもとに、彼らの悲哀の一端をのぞいてみましょう。
【5】11/5 お竹大日如来と江戸社会
滝口正哉 立正大学講師
江戸時代の始めのころ、日本橋大伝馬町佐久間家の下女にお竹という女性がありました。日頃信心が篤く、貧しい人などにも慈悲深く接する彼女は、死後大日如来となって人々の信仰を集めます。今回はこの伝説が修験や開帳などの活動によっていかに広がり、江戸庶民に受け入れられていったのかをみていきます。
【6】11/12 江戸へ出府する百姓たち
千葉真由美 小平市史編さん調査専門委員
江戸の町には、年貢納入などのために村からやってきた百姓たちの姿がありました。彼らはまた、村で争いが起こると、奉行所などでの訴訟のために、村と江戸を何度も行き来することになります。江戸から約30~40kmの距離にある多摩地域の村を事例に、江戸での訴訟の様子、争いを解決しようとする役所の対応、これに向き合う百姓たちの強い思いに迫りたいと思います。
【7】11/19 江戸と横浜
吉雅規 横浜都市発展記念館調査研究員
安政6年(1859)6月、欧米列強に開港した横浜は、その後日本を代表する国際貿易港として発展していきますが、その草創にあたっては江戸の影響を少なからず受けていました。今回の講義では終焉を迎えつつあった「大君の都」=江戸と、勃興しつつあった新興国際港横浜の「関係」を意識しつつ、ふたつの都市の幕末(1859~1868)のあゆみを史料から探ります。
【8】11/26 幕末江戸の「辛口」政治風刺
藤田 勉 作曲家・音楽家
幕末の江戸では、ペリー来航以降の、急激に高まった政治的緊張と時局の変動を受け、ニュース性を盛り込みながら時勢を風刺した錦絵や、いろは歌・諺尽し・都々逸・狂歌・狂句等の文芸が急増しました。摘発の危険と常に背中合わせのこれらの流行現象から、江戸庶民の政治への不満と批判、江戸っ子ならではの風刺精神を読み取っていきます。
【9】12/3 幕府瓦解後の武家の商法とは
加藤 貴 早稲田大学講師
一大名徳川家の家臣となった旧幕臣(旗本・御家人)たちは、明治元年主家から今後の身の振り方について返答を迫られました。無禄を覚悟して静岡へ随従するか(無禄移住)、朝臣となるか(新政府仕官)、帰農するか(実業転身)の選択でした。その実例として、いったん帰農はするが資産を形成した後に帰参し、静岡へ移住すると返答した旧旗本の転身について、具体的に紹介します。
【10】12/10 安政大地震
加藤 貴 早稲田大学講師
昨年の3月11日に起きた東日本大震災は記憶に新しいですが、幕末の安政2年(1855)10月2日に江戸を襲った直下型の大地震も、江戸に大きな被害をもたらしました。この安政地震の被害はどのようなものだったのでしょうか。混乱状況のなかで、江戸の人びとはどのような対応をしていったのでしょうか。こうした江戸の経験から私たちが学ぶことも多いと思います。
時系列的な通史というよりは、江戸の各分野史の理解を深めていただく講座です。
講師陣は、博物館・歴史館の企画展示、自治体史や特定分野史の執筆・編さん、および埋蔵文化財の発掘調査などに従事する若手・中堅の研究者です。それぞれ特定専門テーマを掲げて、最前線の史料や画像などをもとに、大江戸研究の現在を具体的に解説・点描します。
※この講座は2012年度春講座と同一のテーマで実施します。
【1】10/1 火災への備え
加藤 貴 早稲田大学講師
江戸では頻繁に火災が発生し、神田・日本橋・京橋の中心部の町々では、平均すると6年に1度の割合で焼けたことになります。江戸で暮らす人びとにとっては火災はのがれられないことだったのですが、「火事と喧嘩は江戸の華」と気楽に考えていたわけでもありません。幕府から庶民にいたるまでさまざまな形で火災に備えていました。そうしたことを、幕府法令、大名屋敷の防火策、商家の防火策や、防火のマニュアルブックからみていくことにします。
【2】10/15 興行のしくみ―幕府の芝居小屋支配―
加藤征治 葛飾区教育委員会調査委員
大芝居とよばれる町奉行所公認の芝居小屋は、屋根に櫓をあげることで、自分たちの正当性をアピールします。これは、三都いずれの大芝居も同じです。しかし、芝居経営の仕組みについては、江戸と上方の相違がとりあげられています。この相違がなぜ起きたのかを、幕府の芝居小屋に対する支配の考え方からみていきます。
【3】10/22 女性の駆け込み訴訟
長島淳子 国士舘大学講師
江戸時代には様々な裁判が行われましたが、女性が訴訟の主体になることは珍しいことといえます。19世紀初め、武州農村の女性が自分の身に起きた事件の解決のため単身で出府。江戸馬喰町の公事師に依頼して訴状を作り、勘定奉行榊原主計頭役所に訴えを起こしました。事件を明らかにしながら、裁判がどのような結果をもたらしたかを追っていきます。
【4】10/29 江戸詰はつらいよ―家中・奉公人の養生と介護―
下重 清 東海大学講師
17世紀中ごろ、小田原藩の殿様は幕府の老中でもあった稲葉正則。
江戸藩邸で働く藩士や武家奉公人の勤務状況もこもごも。単身赴任者の病気煩いや老母をはじめとする身内の介護・扶養は悩みの種でした。「稲葉日記」をもとに、彼らの悲哀の一端をのぞいてみましょう。
【5】11/5 お竹大日如来と江戸社会
滝口正哉 立正大学講師
江戸時代の始めのころ、日本橋大伝馬町佐久間家の下女にお竹という女性がありました。日頃信心が篤く、貧しい人などにも慈悲深く接する彼女は、死後大日如来となって人々の信仰を集めます。今回はこの伝説が修験や開帳などの活動によっていかに広がり、江戸庶民に受け入れられていったのかをみていきます。
【6】11/12 江戸へ出府する百姓たち
千葉真由美 小平市史編さん調査専門委員
江戸の町には、年貢納入などのために村からやってきた百姓たちの姿がありました。彼らはまた、村で争いが起こると、奉行所などでの訴訟のために、村と江戸を何度も行き来することになります。江戸から約30~40kmの距離にある多摩地域の村を事例に、江戸での訴訟の様子、争いを解決しようとする役所の対応、これに向き合う百姓たちの強い思いに迫りたいと思います。
【7】11/19 江戸と横浜
吉雅規 横浜都市発展記念館調査研究員
安政6年(1859)6月、欧米列強に開港した横浜は、その後日本を代表する国際貿易港として発展していきますが、その草創にあたっては江戸の影響を少なからず受けていました。今回の講義では終焉を迎えつつあった「大君の都」=江戸と、勃興しつつあった新興国際港横浜の「関係」を意識しつつ、ふたつの都市の幕末(1859~1868)のあゆみを史料から探ります。
【8】11/26 幕末江戸の「辛口」政治風刺
藤田 勉 作曲家・音楽家
幕末の江戸では、ペリー来航以降の、急激に高まった政治的緊張と時局の変動を受け、ニュース性を盛り込みながら時勢を風刺した錦絵や、いろは歌・諺尽し・都々逸・狂歌・狂句等の文芸が急増しました。摘発の危険と常に背中合わせのこれらの流行現象から、江戸庶民の政治への不満と批判、江戸っ子ならではの風刺精神を読み取っていきます。
【9】12/3 幕府瓦解後の武家の商法とは
加藤 貴 早稲田大学講師
一大名徳川家の家臣となった旧幕臣(旗本・御家人)たちは、明治元年主家から今後の身の振り方について返答を迫られました。無禄を覚悟して静岡へ随従するか(無禄移住)、朝臣となるか(新政府仕官)、帰農するか(実業転身)の選択でした。その実例として、いったん帰農はするが資産を形成した後に帰参し、静岡へ移住すると返答した旧旗本の転身について、具体的に紹介します。
【10】12/10 安政大地震
加藤 貴 早稲田大学講師
昨年の3月11日に起きた東日本大震災は記憶に新しいですが、幕末の安政2年(1855)10月2日に江戸を襲った直下型の大地震も、江戸に大きな被害をもたらしました。この安政地震の被害はどのようなものだったのでしょうか。混乱状況のなかで、江戸の人びとはどのような対応をしていったのでしょうか。こうした江戸の経験から私たちが学ぶことも多いと思います。
備考
【ご注意】パンフレット記載の第9回(12/3)講義の担当講師が下記の通り変更となりましたのでご注意ください。
変更前:西脇康(日本近世史研究者)
変更後:加藤貴(早稲田大学講師)
※講座日程やテーマ、そのほか各講師の担当回に変更はありません。
変更前:西脇康(日本近世史研究者)
変更後:加藤貴(早稲田大学講師)
※講座日程やテーマ、そのほか各講師の担当回に変更はありません。
講師陣
名前 | 加藤 貴 他 |
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肩書き | 早稲田大学講師 |
プロフィール | - |