講座詳細情報
申し込み締切日:2017-10-01 / 世界史 / 学内講座コード:330312
朝鮮三国史 高句麗・百済・新羅、三国の成立と加羅・倭
- 開催日
- 10月 3日(火)~11月28日(火)
- 講座回数
- 5回
- 時間
- 10:30~12:00
- 講座区分
- 後期
- 入学金
- 8,000円
- 受講料
- 14,580円
- 定員
- 30
- その他
- ビジター価格 16,767円
- 補足
※この講座の申し込みは既に締め切りました。
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講座詳細
【目標】
・古代朝鮮の国々のなりたちを知り、各地の社会や文化のありさまを学びます。
・東アジアの文明がいろいろな地域の交流を通じて形成される過程を知ります。
・秋学期は、春学期の講座を継承して、高句麗・百済・新羅の三国の成立と加羅・倭の動向をあつかいます。
【講義概要】
古代の朝鮮半島に展開した高句麗・百済・新羅・加羅などの歴史を、時代を追ってたどり、古代国家の形成とその社会・文化の特質を概説する講座シリーズの第二シーズンです。気軽に韓国へ旅行する時代になり、歴史ドラマを通じて知識をたくわえたかたも多くなりましたが、なにが「史実」でどこが「虚構」なのか、かえってわからなくなっているようです。「ほんとうの」歴史は、どこにあるのでしょうか。この講座では、東アジア諸地域の文化がどのように形成されたのか、古代の朝鮮半島を中心に学びます。確実な文献史料にもとづき歴史を再構成するとともに、考古学的な調査研究の成果を活用することにもつとめてまいります。
●中華の分裂と高句麗
漢王朝の衰退にともない中華の分裂をひきおこし3世紀に三国時代を迎えます。その後およそ400年間、遊牧系の諸族が支配する華北と、南朝の貴族文化をはぐくむ江南とが対立する南北朝時代がつづきます。楽浪郡の統治をおわらせた高句麗が、華北のいわゆる五胡十六国の東方に大勢力をかまえました。高句麗とはどのような国家か、東北アジア史の潮流のなかに位置づけます。
●百済と高句麗の抗争
百済と新羅は、韓族のなかから4世紀なかば以降にすがたをあらわします。勢いにのる百済は、はじめ高句麗を圧倒しました。三国のうちもっとも後発の新羅は、高句麗と倭のあいだでしだいに国のかたちを成してきます。また朝鮮半島南部には百済にも新羅にも属すことのない加羅(加耶)諸国の地域がありました。考古学の研究成果を参照しつつ、3~4世紀の諸地域の文化をくらべてみましょう。
●新羅の形成と加羅
新羅は加羅(加耶)と密接な関係をたもちながら独自の道をあゆみます。金城(のちの慶州)を中心に、部族の文化伝統にいろどられた政治制度をつくりました。4世紀から5世紀にかけて新羅の成長するすがたを、加羅諸国との対比を通じて観察します。
●高句麗 広開土王・長寿王の時代
高句麗の広開土王は、その名のしめす通り国土を拡大し国威を発揚した英雄です。その墓地にたてられた「広開土王碑」の碑文に勲績がくわしく記されていますが、そこにあえて書かれていない国際関係の事実もあります。あとをついだ長寿王が、みやこを平壌にうつし南下政策にひとくぎりつけます。ひろく東北アジアの動向をみながら、4世紀末から5世紀の高句麗史を考察します。
●加羅と倭人からみた三国史
楽浪郡時代このかた加羅(加耶)地域は鉄の生産地として注目されています。6世紀なかばにいたるまで国家の統合をはたすことなく地域の自立性をたもったまま存続し、ついに百済と新羅に併合されました。いっぽう海をへだてた日本列島に生まれた倭の政治的集団が、朝鮮半島方面に影響をおよぼしてきます。加羅と倭の地域から歴史をながめると、どのような構図をえがくことができるでしょうか。
・古代朝鮮の国々のなりたちを知り、各地の社会や文化のありさまを学びます。
・東アジアの文明がいろいろな地域の交流を通じて形成される過程を知ります。
・秋学期は、春学期の講座を継承して、高句麗・百済・新羅の三国の成立と加羅・倭の動向をあつかいます。
【講義概要】
古代の朝鮮半島に展開した高句麗・百済・新羅・加羅などの歴史を、時代を追ってたどり、古代国家の形成とその社会・文化の特質を概説する講座シリーズの第二シーズンです。気軽に韓国へ旅行する時代になり、歴史ドラマを通じて知識をたくわえたかたも多くなりましたが、なにが「史実」でどこが「虚構」なのか、かえってわからなくなっているようです。「ほんとうの」歴史は、どこにあるのでしょうか。この講座では、東アジア諸地域の文化がどのように形成されたのか、古代の朝鮮半島を中心に学びます。確実な文献史料にもとづき歴史を再構成するとともに、考古学的な調査研究の成果を活用することにもつとめてまいります。
●中華の分裂と高句麗
漢王朝の衰退にともない中華の分裂をひきおこし3世紀に三国時代を迎えます。その後およそ400年間、遊牧系の諸族が支配する華北と、南朝の貴族文化をはぐくむ江南とが対立する南北朝時代がつづきます。楽浪郡の統治をおわらせた高句麗が、華北のいわゆる五胡十六国の東方に大勢力をかまえました。高句麗とはどのような国家か、東北アジア史の潮流のなかに位置づけます。
●百済と高句麗の抗争
百済と新羅は、韓族のなかから4世紀なかば以降にすがたをあらわします。勢いにのる百済は、はじめ高句麗を圧倒しました。三国のうちもっとも後発の新羅は、高句麗と倭のあいだでしだいに国のかたちを成してきます。また朝鮮半島南部には百済にも新羅にも属すことのない加羅(加耶)諸国の地域がありました。考古学の研究成果を参照しつつ、3~4世紀の諸地域の文化をくらべてみましょう。
●新羅の形成と加羅
新羅は加羅(加耶)と密接な関係をたもちながら独自の道をあゆみます。金城(のちの慶州)を中心に、部族の文化伝統にいろどられた政治制度をつくりました。4世紀から5世紀にかけて新羅の成長するすがたを、加羅諸国との対比を通じて観察します。
●高句麗 広開土王・長寿王の時代
高句麗の広開土王は、その名のしめす通り国土を拡大し国威を発揚した英雄です。その墓地にたてられた「広開土王碑」の碑文に勲績がくわしく記されていますが、そこにあえて書かれていない国際関係の事実もあります。あとをついだ長寿王が、みやこを平壌にうつし南下政策にひとくぎりつけます。ひろく東北アジアの動向をみながら、4世紀末から5世紀の高句麗史を考察します。
●加羅と倭人からみた三国史
楽浪郡時代このかた加羅(加耶)地域は鉄の生産地として注目されています。6世紀なかばにいたるまで国家の統合をはたすことなく地域の自立性をたもったまま存続し、ついに百済と新羅に併合されました。いっぽう海をへだてた日本列島に生まれた倭の政治的集団が、朝鮮半島方面に影響をおよぼしてきます。加羅と倭の地域から歴史をながめると、どのような構図をえがくことができるでしょうか。
備考
※定員の充足状況の変化や、休講・補講等がある場合があります。
お申込の際は、リンク先の主催校のホームページをご確認下さい。
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講師陣
名前 | 大井 剛 |
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肩書き | 東京成徳大学教授 |
プロフィール | 東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。東京大学文学部、ユネスコ東アジア文化研究センター勤務、学習院女子大学、山梨大学、麗澤大学大学院等の非常勤講師を経て現職。専門は東アジア文化交流史。論文に「年号論」(『アジアのなかの日本史』第5巻)など。 |