講座詳細情報
申し込み締切日:2014-10-14 / 世界史:その他教養 / 学内講座コード:14B1612801
ヨーロッパの王室
- 開催日
- 10月28日(火)、11月 4日(火)、11月11日(火)、11月18日(火)、11月25日(火)、12月 2日(火)、12月 9日(火)
- 講座回数
- 7回
- 時間
- 13:00~14:30
- 講座区分
- 後期
- 入学金
- -
- 受講料
- 11,000円
- 定員
- 50
- その他
- 9900(※料金は、神奈川大学生・卒業生等および横浜市交流協議会加盟大学在学生に適用される料金です)
- 補足
※この講座の申し込みは既に締め切りました。
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講座詳細
【講座内容】
ヨーロッパの王室をテーマにし、幾多の戦火や思想の流れや困難を克服して生き延びてきたイギリス王室、歴史のかなたに消えていったスペイン、フランス、オーストリア王室、幾多の王室の歴史をひもとき、君主制が果たした役割、時代の流れによる変貌・消滅の過程を検証する。19世紀に新しくできたオランダ、ベルギー王室からは、近世になってなぜ君主制を選んだのかを探り、歴史のなかで王室が果たしてきた役割を考える。
【講座スケジュール】
第1回10月28日(火) 征服者によって成立したイギリス王室
詳細:イギリスは1066年にフランス人のノルマンディー公爵ウィリアムによって征服され、新しいノルマン王朝が出現した。ノルマン王朝は今日にまで続く王朝の基礎を築いた。ノルマン人の王朝はいかなるものだったのか? 1485年まで続いたフランス人の王朝はなぜ断絶したのか。被征服民族のイギリス人とその言語はどう変貌したのか。
第2回11月 4日(火) ドイツ人のイギリス王
詳細:19世紀に、新しい王としてイギリスに招かれたドイツ人貴族が今日のウィンザー王家の開祖となった。英語を話さない国王の出現により、イギリス王室は永遠の延命措置をつけられたことになる。ドイツ人の王がイギリス史で果たした役割は?
第3回11月11日(火) スペイン王室
詳細:15世紀末、アラゴン王フェルナンドとカスティーリャ女王イサベルの結婚によりイベリア半島が統一され、スペイン王国が誕生した。2人の君主の娘の時代に、結婚政策により、スペインはオーストリアのハプスブルク家と結ばれるが、男子の後継者の不在により、オーストリアの配下に入った、イベリア半島のスペイン王室は消滅する。スペイン・ハプスブルク王室が誕生するいきさつ。スペイン王室の儚い栄光と消滅の物語。
第4回11月18日(火) スペイン・ハプスブルク王室
詳細:広大なハプスブルク帝国をスペインとオーストリアに二分して始まったハプスブルク王家の新しい歴史。栄光のスペイン・ハプスブルク王室は、1700年、カルロス2世をもって幕を閉じる。スペインの王座についたのは、フランス王ルイ14世の孫。スペイン・ハプスブルク王室の消滅によりヨーロッパの政局は混乱を極め、戦乱の世に突入する。
第5回11月25日(火) オーストリア・ハプスブルク王室
詳細:スペイン・ハプスブルク王室が消滅したのにたいして、オーストリア・ハプスブルク王室はしぶとく生き延びる。しかし、18世紀、マリア・テレジアの時代に最大の危機を迎える。女性は君主になれないと、ヨーロッパ列強から攻められたのである。あらんかぎりの力を発揮して戦った女帝マリア・テレジア。その戦いの軌跡を追う。
第6回12月 2日(火) フランス王室
詳細:ヴァロワ王朝の栄光と断絶。15世紀、アンリ2世と妃カトリーヌ・ド・メディシスは10人もの子に恵まれ、フランソワ2 世、シャルル9世、アンリ3世と3人もの王を送り出しながら、ヴァロワ家は消滅する。なぜ滅びに至ったのか?幼い王をたて続けに戴いた国の不運とヨーロッパを席巻した宗教戦争がその原因である。
第7回12月 9日(火) ルイ14世からルイ16世までのブルボン王朝
詳細:ヴェルサイユ宮殿を築き、ヨーロッパに君臨した太陽王ルイ14世。しかし、その栄光は3代で潰え去る。最後に、長い独立戦争を戦いぬき、19世紀に、共和主義の嵐が吹き荒れるなか、あえて立憲君主制を選択したオランダとベルギーを検証し、王室の果たしてきた役割を考える。
ヨーロッパの王室をテーマにし、幾多の戦火や思想の流れや困難を克服して生き延びてきたイギリス王室、歴史のかなたに消えていったスペイン、フランス、オーストリア王室、幾多の王室の歴史をひもとき、君主制が果たした役割、時代の流れによる変貌・消滅の過程を検証する。19世紀に新しくできたオランダ、ベルギー王室からは、近世になってなぜ君主制を選んだのかを探り、歴史のなかで王室が果たしてきた役割を考える。
【講座スケジュール】
第1回10月28日(火) 征服者によって成立したイギリス王室
詳細:イギリスは1066年にフランス人のノルマンディー公爵ウィリアムによって征服され、新しいノルマン王朝が出現した。ノルマン王朝は今日にまで続く王朝の基礎を築いた。ノルマン人の王朝はいかなるものだったのか? 1485年まで続いたフランス人の王朝はなぜ断絶したのか。被征服民族のイギリス人とその言語はどう変貌したのか。
第2回11月 4日(火) ドイツ人のイギリス王
詳細:19世紀に、新しい王としてイギリスに招かれたドイツ人貴族が今日のウィンザー王家の開祖となった。英語を話さない国王の出現により、イギリス王室は永遠の延命措置をつけられたことになる。ドイツ人の王がイギリス史で果たした役割は?
第3回11月11日(火) スペイン王室
詳細:15世紀末、アラゴン王フェルナンドとカスティーリャ女王イサベルの結婚によりイベリア半島が統一され、スペイン王国が誕生した。2人の君主の娘の時代に、結婚政策により、スペインはオーストリアのハプスブルク家と結ばれるが、男子の後継者の不在により、オーストリアの配下に入った、イベリア半島のスペイン王室は消滅する。スペイン・ハプスブルク王室が誕生するいきさつ。スペイン王室の儚い栄光と消滅の物語。
第4回11月18日(火) スペイン・ハプスブルク王室
詳細:広大なハプスブルク帝国をスペインとオーストリアに二分して始まったハプスブルク王家の新しい歴史。栄光のスペイン・ハプスブルク王室は、1700年、カルロス2世をもって幕を閉じる。スペインの王座についたのは、フランス王ルイ14世の孫。スペイン・ハプスブルク王室の消滅によりヨーロッパの政局は混乱を極め、戦乱の世に突入する。
第5回11月25日(火) オーストリア・ハプスブルク王室
詳細:スペイン・ハプスブルク王室が消滅したのにたいして、オーストリア・ハプスブルク王室はしぶとく生き延びる。しかし、18世紀、マリア・テレジアの時代に最大の危機を迎える。女性は君主になれないと、ヨーロッパ列強から攻められたのである。あらんかぎりの力を発揮して戦った女帝マリア・テレジア。その戦いの軌跡を追う。
第6回12月 2日(火) フランス王室
詳細:ヴァロワ王朝の栄光と断絶。15世紀、アンリ2世と妃カトリーヌ・ド・メディシスは10人もの子に恵まれ、フランソワ2 世、シャルル9世、アンリ3世と3人もの王を送り出しながら、ヴァロワ家は消滅する。なぜ滅びに至ったのか?幼い王をたて続けに戴いた国の不運とヨーロッパを席巻した宗教戦争がその原因である。
第7回12月 9日(火) ルイ14世からルイ16世までのブルボン王朝
詳細:ヴェルサイユ宮殿を築き、ヨーロッパに君臨した太陽王ルイ14世。しかし、その栄光は3代で潰え去る。最後に、長い独立戦争を戦いぬき、19世紀に、共和主義の嵐が吹き荒れるなか、あえて立憲君主制を選択したオランダとベルギーを検証し、王室の果たしてきた役割を考える。
講師陣
名前 | 石井 美樹子 |
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肩書き | 神奈川大学名誉教授 |
プロフィール | 1974~78年英国ケンブリッジ大学大学院にて中世英文学を専攻。文学博士。ケンブリッジ大学東洋学部専任講師、静岡大学教授を経て2013年3月まで神奈川大学外国語学部教授。現在は神奈川大学名誉教授。専門は中世・ルネサンスのイギリス文学・歴史。主要著書に『聖母のルネサンス』(岩波書店)、『エリザベス――華麗なる孤独』(中央公論新社)、『ヨーロッパの王妃』『ヨーロッパ宮廷の愛人たち』『マリー・アントワネットの宮廷画家――ルイーズ・ヴィジェ・ルブランの生涯』『マリー・アントワネット――ファッションで世界を変えた女』(以上、河出書房新社)ほか多数。 |