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講座詳細情報

申し込み締切日:2013-05-21 / 世界史:その他教養 / 学内講座コード:13A1610901

ヨーロッパの王室はなぜ滅びたのか 

主催:神奈川大学神奈川大学 KUポートスクエア (みなとみらいキャンパス)(神奈川県)]
問合せ先:生涯学習エクステンション講座 TEL:045-682-5553
開催日
6月 4日(火)、 6月11日(火)、 6月18日(火)、
6月25日(火)、 7月 2日(火)
講座回数
5回
時間
13:00~14:30
講座区分
前期 
入学金
 - 
受講料
8,000円
定員
50
その他
7200(※料金は、神奈川大学生・卒業生等および横浜市交流協議会加盟大学在学生に適用される料金です)
補足
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※この講座の申し込みは既に締め切りました。

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講座詳細

【講座内容】
かつて西ヨーロッパのほとんどの国が王室を戴いていた。そのほとんどが時の流れとともに消えていった。なぜ王室は滅びの道を行かなければならなかったのか。それを探ってゆくと、ヨーロッパの歴史が見えてくる。三世紀にもわたる鎖国を敷いた日本と異なり、ヨーロッパは他国とのせめぎあいのなかを生き延び、さらに自国の特質を生かした国造りをしなければならなかった。消えたほとんどの王室が内部に崩壊の源を有していた。


【講座スケジュール】
第1回 6月 4日(火) 宗教戦争に蹂躙されるフランス
 1547年、聖バルテルミーの祝日に、数千人の新教徒が殺された。この大虐殺事件はフランスの宗教戦争のクライマックスとなった。勝利したかに見えた、王母カトリーヌ・ド・メディシスを筆頭とする旧教徒(カトリック)陣営。しかし、高い代償を払うことになる。フランソワ1世が作った中央集権の国家の体制が崩壊し、国家を分断させてしまう。

第2回 6月11日(火) 国王の寵姫たちに牛耳られるヴェルサイユ宮殿
 フランスの革命の種は、ルイ16世の妃マリー・アントワネットの浪費癖にあるかのように語られてきたが、革命の火種はすでにヴェルサイユ宮殿建造時に端を発する。歴代のブルボン王朝の王たちには強い放蕩癖があり、愛人を宮廷に住まわせ、「寵姫」という役職をあたえて政治に口を挟むのを許した。寵姫たちは贅沢三昧、湯水のように国家のお金を使い、国費を疲弊させた。フランス王がヨーロッパの覇者たろうとして無益な戦争をしたことも命取りになった。

第3回 6月18日(火) ネーデルランドに揺さぶられるスペイン
 スペイン王フェリペ2世は、父カール5世からネーデルランドを受け継いだ。しかし、ネーデルランドの風土や制度や慣習に無知なために、国家規模の反発を招いた。ネーデルランドは宗主国スペインに反旗をひるがえす。足元からしのびよる国家の崩壊。それを力で阻止しようとしたフェリペ王。その結果は?

第4回 6月25日(火) スペイン・ハプスブルク王朝からスペイン・ブルボン王朝へ
 スペイン王室はネーデルランドを失い、ヨーロッパの覇者としての輝かしい地位も失い、ついに、血縁結婚を続けた結果、生殖能力を持たない王を戴き、自然消滅する。ヨーロッパ一の権力を誇示していたフランス王ルイ14世は、諸国の反対を押し切って自分の孫を、スペインの王座に据える。この拡大政策が結局ブルボン王朝の命取りになる。

第5回 7月 2日(火) オーストリア・ハプスブルク帝国
 ヨーロッパ最大の帝国の滅びの種は、ハプスブルク家のカール6世の一人娘、マリア・テレジアが、女性の王位継承を認めないサリカ法に反して即位したことにある。諸国がマリア・テレジアの王位継承に反対して戦争を起こし、その結果、オーストリアはシレジアを割譲した。これが大帝国の後退の始まりだった。常にトルコとの戦いの前哨地であったオーストリアの過酷な運命もまた帝国の衰退を招いた。 

講師陣

名前 石井 美樹子
肩書き 神奈川大学名誉教授
プロフィール 1974~78年英国ケンブリッジ大学大学院にて中世英文学を専攻。文学博士。その後ケンブリッジ大学東洋学部専任講師、静岡大学教授を経て2013年3月まで神奈川大学外国語学部教授。専門は中世・ルネサンスのイギリス文学・歴史。主要著書に『聖母のルネサンス』(岩波書店)、『エリザベス――華麗なる孤独』(中央公論新社)、『ヨーロッパの王妃』『ヨーロッパ 宮廷の愛人たち』『マリー・アントワネットの宮廷画家――ルイーズ・ヴィジェ・ルブランの生涯』(以上、河出書房新社)ほか多数。
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