講座詳細情報
申し込み締切日:2012-04-04 / 日本史:その他教養 / 学内講座コード:12120034
弥生時代の遺跡を語る ―北部九州篇―
- 開催日
- 4月12日(木)、 4月19日(木)、 5月17日(木)、 5月24日(木)、 6月 7日(木)、 6月21日(木)、 7月 5日(木)
- 講座回数
- 7回
- 時間
- 18:30~20:00
- 講座区分
- 前期
- 入学金
- 3,000円
- 受講料
- 15,000円
- 定員
- 50
- 補足
※この講座の申し込みは既に締め切りました。
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講座詳細
【講座趣旨】
弥生時代とは、稲作農耕を基盤とする社会が成立してから前方後円墳が出現するまでの時代です。しかし、一口に弥生時代といっても地域ごとにかなりその姿・内容が異なっています。本講座では、そうした地域ごとの弥生時代の実像を、代表的な遺跡を取り上げながら解説します。
その1回目として、今年は北部九州を取り上げます。北部九州は、日本列島の中でも大陸に由来する文化要素が明瞭で、しかも社会変化が激しい地域です。早・前期から後期までの13つの遺跡を中心にその様子を見ていきます。
【講義概要】
第1回 4月12日(木) 弥生時代の幕開け―福岡市板付遺跡―
弥生時代の文化がいつ、どのようにして始まったのか。1951~54年の板付遺跡の発掘調査によって、それは北部九州であることが合意された。それが1978年の調査で、再び弥生時代開始をどう考えるかの論争が始まった。
第2回 4月19日(木) 弥生時代集落の発展過程―佐賀県吉野ヶ里遺跡―
1989年に起こった「吉野ヶ里フィーバー」は「ここから邪馬台国が見える」のキャッチフレーズを生んだ。しかし、吉野ヶ里遺跡の魅力は邪馬台国論争にある訳ではない。北部九州の弥生集落の変遷がもっともよく追跡できるところに意義がある。
第3回 5月17日(木) 福岡県吉武高木遺跡・田熊石畑遺跡―青銅器多副葬墓の出現―
北部九州は日本列島でもっとも早く社会の階層化が始まった。威信財である武器形青銅器や銅鏡を集中保有するグループや個人の墓の調査を通じて、こうした社会変化を知ることができる。
第4回 5月24日(木) 青銅器鋳造を担う人々―福岡市諸岡遺跡・佐賀県土生遺跡・熊本市八ノ坪・白藤遺跡―
弥生時代中期初頭に始まった青銅器鋳造は、朝鮮半島からの移住者によってもたらされ、北部九州に定着した。北部九州の3~4ヶ所に朝鮮半島系無文土器を多数出土する遺跡が集まっており、そこに初期青銅器の鋳型が出土する。
第5回 6月 7日(木) 伊都国の中核遺跡―糸島市三雲遺跡群―
三雲遺跡群は、魏志倭人伝に「世々王あるも皆女王国に統属す。郡使の往来常に駐まる所なり」と記された伊都国の中核遺跡である。集落の実態はなお不明な点が多いが、伊都国「王墓」については重要な成果が蓄積されている。
第6回 6月21日(木) 奴国の中核遺跡―春日市須玖遺跡群・福岡市比恵・那珂遺跡群―
奴国の地はほぼ現在の福岡平野一帯と推定される。宅地化が進行して全体像がつかみにくい難点はあるが、須玖遺跡群や比恵・那珂遺跡群の調査によって、この地域も伊都国を凌ぐ最有力地域であることが判明しつつある。
第7回 7月 5日(木) 金印の時代を探る―志賀島と佐賀県三津永田遺跡・桜馬場遺跡―
博多湾沖合に浮かぶ志賀島で1784年に見つかった「漢委奴国王」金印は、後漢書に記された「建武中元二年倭奴国奉貢朝賀…光武賜以印綬」の印とされる。今も真贋論争が続くが、この外交記事は北部九州の考古学的成果とまったく矛盾がない。
弥生時代とは、稲作農耕を基盤とする社会が成立してから前方後円墳が出現するまでの時代です。しかし、一口に弥生時代といっても地域ごとにかなりその姿・内容が異なっています。本講座では、そうした地域ごとの弥生時代の実像を、代表的な遺跡を取り上げながら解説します。
その1回目として、今年は北部九州を取り上げます。北部九州は、日本列島の中でも大陸に由来する文化要素が明瞭で、しかも社会変化が激しい地域です。早・前期から後期までの13つの遺跡を中心にその様子を見ていきます。
【講義概要】
第1回 4月12日(木) 弥生時代の幕開け―福岡市板付遺跡―
弥生時代の文化がいつ、どのようにして始まったのか。1951~54年の板付遺跡の発掘調査によって、それは北部九州であることが合意された。それが1978年の調査で、再び弥生時代開始をどう考えるかの論争が始まった。
第2回 4月19日(木) 弥生時代集落の発展過程―佐賀県吉野ヶ里遺跡―
1989年に起こった「吉野ヶ里フィーバー」は「ここから邪馬台国が見える」のキャッチフレーズを生んだ。しかし、吉野ヶ里遺跡の魅力は邪馬台国論争にある訳ではない。北部九州の弥生集落の変遷がもっともよく追跡できるところに意義がある。
第3回 5月17日(木) 福岡県吉武高木遺跡・田熊石畑遺跡―青銅器多副葬墓の出現―
北部九州は日本列島でもっとも早く社会の階層化が始まった。威信財である武器形青銅器や銅鏡を集中保有するグループや個人の墓の調査を通じて、こうした社会変化を知ることができる。
第4回 5月24日(木) 青銅器鋳造を担う人々―福岡市諸岡遺跡・佐賀県土生遺跡・熊本市八ノ坪・白藤遺跡―
弥生時代中期初頭に始まった青銅器鋳造は、朝鮮半島からの移住者によってもたらされ、北部九州に定着した。北部九州の3~4ヶ所に朝鮮半島系無文土器を多数出土する遺跡が集まっており、そこに初期青銅器の鋳型が出土する。
第5回 6月 7日(木) 伊都国の中核遺跡―糸島市三雲遺跡群―
三雲遺跡群は、魏志倭人伝に「世々王あるも皆女王国に統属す。郡使の往来常に駐まる所なり」と記された伊都国の中核遺跡である。集落の実態はなお不明な点が多いが、伊都国「王墓」については重要な成果が蓄積されている。
第6回 6月21日(木) 奴国の中核遺跡―春日市須玖遺跡群・福岡市比恵・那珂遺跡群―
奴国の地はほぼ現在の福岡平野一帯と推定される。宅地化が進行して全体像がつかみにくい難点はあるが、須玖遺跡群や比恵・那珂遺跡群の調査によって、この地域も伊都国を凌ぐ最有力地域であることが判明しつつある。
第7回 7月 5日(木) 金印の時代を探る―志賀島と佐賀県三津永田遺跡・桜馬場遺跡―
博多湾沖合に浮かぶ志賀島で1784年に見つかった「漢委奴国王」金印は、後漢書に記された「建武中元二年倭奴国奉貢朝賀…光武賜以印綬」の印とされる。今も真贋論争が続くが、この外交記事は北部九州の考古学的成果とまったく矛盾がない。
備考
【教材】
レジュメ資料
レジュメ資料
講師陣
名前 | 石川 日出志 |
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肩書き | 明治大学文学部教授 |
プロフィール | 1954年新潟県生まれ。専門は日本考古学・弥生時代。弥生時代併行期に日本列島各地で展開した文化の多様性と相互の関係性を読み解くことが現在の課題。主な著書に、『農耕社会の成立』(岩波書店)、『「弥生時代」の発見 弥生町遺跡』(新泉社:以上単著、以下共著)、『図解・日本の人類遺跡』(東京大学出版会)、『シンポジウム弥生時代の考古学』(学生社)、『考古資料大観1 弥生・古墳時代 土器1』(小学館)など。 |
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