講座詳細情報
申し込み締切日:2019-07-05 / 芸術・文化 / 学内講座コード:20191801
コンドルの頭の中の日本 建築、絵画、生け花、庭園を通して(春期)
- 開催日
- 5/18,6/8,6/15,7/6
- 講座回数
- 4
- 時間
- 13:30~15:00
- 講座区分
- 数回もの
- 入学金
- -
- 受講料
- 9,600円
- 定員
- 60
- 補足
※この講座の申し込みは既に締め切りました。
関連講座
講座詳細
鹿鳴館の設計者として知られ、また本学本館(旧島津公爵邸)の設計者としても私たちに親しみの深いイギリス人建築家ジョサイア・コンドルは、1877年、25歳の若さでお雇外国人として来日しましたが、じつは彼はすでに10代の頃より遠い異国の地で日本文化に深い関心を寄せていました。4回の連続講座では、あらためて彼の脳裏にイメージされた日本文化に想いを馳せつつ、各講師には、建築、絵画、生け花、庭園等を通して、コンドルの日本観を探ってもらいます。
5/18 コンドルの建築に見る東洋と日本(河東 義之)
コンドルが目指したのは、西洋建築の直輸入ではなく、「日本にふさわしい西洋建築」の実現でした。初期の作品に東洋のイスラム様式を用いたのはそのためと云われています。またコンドルは、来日以来、精力的に日本の文化・芸術の研究を行っており、その成果はしばしば彼の建築作品にも導入されています。コンドルの建築作品に見られる東洋と日本の意匠を、改めて検証してみたいと思います。<講師から一言>コンドルの建築作品に導入された東洋や日本の意匠に注目し、日本の伝統文化を愛したコンドルならではの洋館の魅力を探ります。
6/8 西洋建築から見たコンドル建築の日本性―洋館の姿を取ったコンドルの日本―(西田 雅嗣)
コンドルが日本に建てた建築は果たして西洋建築なのでしょうか? 私たち日本人の洋館ファンの目には、まごうことなき西洋建築に見えるその姿ですが、コンドルの日本への思いを考えた時、その西洋の意匠の背後に、コンドルは、彼一流のやり方で日本を仕組んだとは考えられないでしょうか。コンドルの建築を西洋建築の立場から眺めてみると、コンドルの考える日本がそこに浮かび上がるかもしれないと期待しつつ、コンドルの建築の姿を観察しながら、彼がそこに仕組んだかも知れない日本を読み取ることを試みたいと思います。<講師から一言>西洋建築の格好なのに西洋建築ではない、もちろん日本建築でもない。そんな建築にコンドルが仕組んだ日本を考えてみましょう。
6/15 師・暁斎と弟子・コンドル ―コンドル、暁斎に絵を学ぶ―(河鍋 楠美)
まず、幕末から明治前半に活躍した狩野派絵師・河鍋暁斎(1831~1889)について、その生涯と作品をご紹介します。その上で、ジョサイア・コンドルが暁斎に入門した経緯やコンドルがどのような修業を行ったか、さらには二人で出かけた写生旅行の様子などを『暁斎絵日記』や『日光地取絵巻』などの資料を用いて読み解きます。そして、コンドルが暁斎の熱心な教えに応えて絵画展で褒状を得るまでに上達したことを、コンドルが描いた日本画を見ながら確認し、コンドルと暁斎との師弟愛の深さをご紹介します。最後に、暁斎とコンドル亡き後におけるコンドルの娘・ヘレンと暁斎の娘・暁翠との交流にも言及します。<講師から一言>近代建築の父・コンドルがなぜ河鍋暁斎に絵を学んだか。国籍も違い、年齢も20 歳以上離れた二人の師弟愛をご紹介します。
7/6 花をいける、庭を造る―コンドルのみた日本文化の一側面―(高野 禎子)
コンドルは来日直後から日本文化について熱心に研究を行っていた。本講座では彼の著わした二つの書物『日本のいけばな』、『日本の庭園』を通して、彼の日本文化への眼差しについて考えたい。現存する彼の建築に見られる意匠や庭園等の具体的な作例をとおして、日本の風土に根差した「形と色」を徹底的に研究したコンドルならではの視点、彼の脳裏にあった日本文化の本質とは何であったのか。彼の著書を紐解きながら、答えの一端を見つけられたらと思う。<講師から一言>母国で馴染み薄かった日本文化の紹介を、コンドルが生け花から始めたのは何故か。文化理解とは何かは今日的テーマでもあります。
5/18 コンドルの建築に見る東洋と日本(河東 義之)
コンドルが目指したのは、西洋建築の直輸入ではなく、「日本にふさわしい西洋建築」の実現でした。初期の作品に東洋のイスラム様式を用いたのはそのためと云われています。またコンドルは、来日以来、精力的に日本の文化・芸術の研究を行っており、その成果はしばしば彼の建築作品にも導入されています。コンドルの建築作品に見られる東洋と日本の意匠を、改めて検証してみたいと思います。<講師から一言>コンドルの建築作品に導入された東洋や日本の意匠に注目し、日本の伝統文化を愛したコンドルならではの洋館の魅力を探ります。
6/8 西洋建築から見たコンドル建築の日本性―洋館の姿を取ったコンドルの日本―(西田 雅嗣)
コンドルが日本に建てた建築は果たして西洋建築なのでしょうか? 私たち日本人の洋館ファンの目には、まごうことなき西洋建築に見えるその姿ですが、コンドルの日本への思いを考えた時、その西洋の意匠の背後に、コンドルは、彼一流のやり方で日本を仕組んだとは考えられないでしょうか。コンドルの建築を西洋建築の立場から眺めてみると、コンドルの考える日本がそこに浮かび上がるかもしれないと期待しつつ、コンドルの建築の姿を観察しながら、彼がそこに仕組んだかも知れない日本を読み取ることを試みたいと思います。<講師から一言>西洋建築の格好なのに西洋建築ではない、もちろん日本建築でもない。そんな建築にコンドルが仕組んだ日本を考えてみましょう。
6/15 師・暁斎と弟子・コンドル ―コンドル、暁斎に絵を学ぶ―(河鍋 楠美)
まず、幕末から明治前半に活躍した狩野派絵師・河鍋暁斎(1831~1889)について、その生涯と作品をご紹介します。その上で、ジョサイア・コンドルが暁斎に入門した経緯やコンドルがどのような修業を行ったか、さらには二人で出かけた写生旅行の様子などを『暁斎絵日記』や『日光地取絵巻』などの資料を用いて読み解きます。そして、コンドルが暁斎の熱心な教えに応えて絵画展で褒状を得るまでに上達したことを、コンドルが描いた日本画を見ながら確認し、コンドルと暁斎との師弟愛の深さをご紹介します。最後に、暁斎とコンドル亡き後におけるコンドルの娘・ヘレンと暁斎の娘・暁翠との交流にも言及します。<講師から一言>近代建築の父・コンドルがなぜ河鍋暁斎に絵を学んだか。国籍も違い、年齢も20 歳以上離れた二人の師弟愛をご紹介します。
7/6 花をいける、庭を造る―コンドルのみた日本文化の一側面―(高野 禎子)
コンドルは来日直後から日本文化について熱心に研究を行っていた。本講座では彼の著わした二つの書物『日本のいけばな』、『日本の庭園』を通して、彼の日本文化への眼差しについて考えたい。現存する彼の建築に見られる意匠や庭園等の具体的な作例をとおして、日本の風土に根差した「形と色」を徹底的に研究したコンドルならではの視点、彼の脳裏にあった日本文化の本質とは何であったのか。彼の著書を紐解きながら、答えの一端を見つけられたらと思う。<講師から一言>母国で馴染み薄かった日本文化の紹介を、コンドルが生け花から始めたのは何故か。文化理解とは何かは今日的テーマでもあります。
備考
テキスト:必要に応じてプリントを配布
講義形式。オムニバス講座です。
講義形式。オムニバス講座です。
講師陣
名前 | 河東 義之 |
---|---|
肩書き | 小山高専名誉教授 |
プロフィール | - |
名前 | 西田 雅嗣 |
---|---|
肩書き | 京都工芸繊維大学大学院 デザイン・建築学系 教授 |
プロフィール | - |
名前 | 河鍋 楠美 |
---|---|
肩書き | 公益財団法人河鍋暁斎記念美術館 理事長・館長 |
プロフィール | - |
名前 | 高野 禎子 |
---|---|
肩書き | 清泉女子大学教授 清泉女子大学大学院思想文化専攻教授 |
プロフィール | - |