講座詳細情報
申し込み締切日:2014-04-16 / 日本史:世界史 / 学内講座コード:14120043
古代日本と朝鮮渡来文化
- 開催日
- 4月24日(木)、 5月 8日(木)、 5月22日(木)、 6月12日(木)、 6月26日(木)、 7月10日(木)、 7月24日(木)
- 講座回数
- 7回
- 時間
- 17:00~18:30
- 講座区分
- 前期
- 入学金
- 3,000円
- 受講料
- 16,000円
- 定員
- 50
- 補足
※この講座の申し込みは既に締め切りました。
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講座詳細
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【講座趣旨】
古代朝鮮から渡来人が日本列島に住み着くようになるのは、4世紀後半から5世紀初期以降の時期とされるが、古くは縄文時代の終り、紀元前3世紀頃の弥生時代から日本に定住したと考えられています。朝鮮半島からいち早く来日した渡来人の多くは京・畿内やその近隣に抱擁され、高度な学術や技芸、さらに労働力を日本の上代文化の発展のために寄与・提供し、彼らもまたその地域を安住の新生活の場としたのであります。
本講座では、古代日本における朝鮮渡来文化をめぐって、現在も日本列島に残っている寺社・遺跡を中心に当時の日韓両国の歴史的背景や政治的・社会的影響などについて理解を深めて行きたいと思います。
【講義概要】
第1回 4月24日(木) 徐福の渡来伝説─熊野
中国の歴史書『史記』に見える徐福は、紀元前3世紀頃、秦始黄帝の命により不老不死の仙薬を求め、男女3千人・五穀の種・百工(技術者)を率いて東方に渡ったと伝えるが、その徐福の熊野渡来伝説について考えます。
第2回 5月 8日(木) 徐福の渡来伝説─新宮
新宮駅から東約百メートル離れた徐福公園内に、「徐福墓」と徐福に従って渡来した七人の重臣を祀った「七塚之碑」があり、徐福に関する熊野関連資料を中心に解説します。
第3回 5月22日(木) 徐福の渡来伝説─済州島・南海島
済州島西帰浦の正房瀑布の岸壁には、徐福がこの地に上陸した記念として「徐市過此」を刻んだ文字が残っていると伝えられるが、実際南海島の摩崖石には「徐市起礼日出」の六字の古代文字が残っています。
第4回 6月12日(木) 耽羅国の歴史と古代日本
耽羅国(済州島)は、古代から中世にかけて存在した王国であり、古代日本と耽羅との交流をめぐって『日本書紀』『三国史記』『延喜式』を中心に、日本列島と耽羅との関係について考察します。
第5回 6月26日(木) 百済滅亡と大和の救援
『日本書紀』によると、天智2年(663)3月に上毛野稚子を将軍とし、2万7千の軍兵を百済に派遣したが、同年8月に白村江の戦闘で羅・唐の連合軍によって敗戦を喫し、百済は完全に滅亡されたのであります。
第6回 7月10日(木) 張保皐と海上貿易─清海鎮設置
張保皐は810年に唐の山東半島に渡り、軍閥勢力の徐州武寧軍に入って高句麗出身の軍閥李正己と戦ったが、帰国後清海鎮(莞島)を設置し、海賊を討伐した功により清海鎮大使となります。
第7回 7月24日(木) 張保皐と慈覚大師円仁
張保皐は海上貿易による莫大な経済力を背景に、9世紀前半山東省文登県赤山村に「赤山法華院」を建立すると共に、入唐僧円仁を支援するなど、その名前は日本でもよく知られています。
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【講座趣旨】
古代朝鮮から渡来人が日本列島に住み着くようになるのは、4世紀後半から5世紀初期以降の時期とされるが、古くは縄文時代の終り、紀元前3世紀頃の弥生時代から日本に定住したと考えられています。朝鮮半島からいち早く来日した渡来人の多くは京・畿内やその近隣に抱擁され、高度な学術や技芸、さらに労働力を日本の上代文化の発展のために寄与・提供し、彼らもまたその地域を安住の新生活の場としたのであります。
本講座では、古代日本における朝鮮渡来文化をめぐって、現在も日本列島に残っている寺社・遺跡を中心に当時の日韓両国の歴史的背景や政治的・社会的影響などについて理解を深めて行きたいと思います。
【講義概要】
第1回 4月24日(木) 徐福の渡来伝説─熊野
中国の歴史書『史記』に見える徐福は、紀元前3世紀頃、秦始黄帝の命により不老不死の仙薬を求め、男女3千人・五穀の種・百工(技術者)を率いて東方に渡ったと伝えるが、その徐福の熊野渡来伝説について考えます。
第2回 5月 8日(木) 徐福の渡来伝説─新宮
新宮駅から東約百メートル離れた徐福公園内に、「徐福墓」と徐福に従って渡来した七人の重臣を祀った「七塚之碑」があり、徐福に関する熊野関連資料を中心に解説します。
第3回 5月22日(木) 徐福の渡来伝説─済州島・南海島
済州島西帰浦の正房瀑布の岸壁には、徐福がこの地に上陸した記念として「徐市過此」を刻んだ文字が残っていると伝えられるが、実際南海島の摩崖石には「徐市起礼日出」の六字の古代文字が残っています。
第4回 6月12日(木) 耽羅国の歴史と古代日本
耽羅国(済州島)は、古代から中世にかけて存在した王国であり、古代日本と耽羅との交流をめぐって『日本書紀』『三国史記』『延喜式』を中心に、日本列島と耽羅との関係について考察します。
第5回 6月26日(木) 百済滅亡と大和の救援
『日本書紀』によると、天智2年(663)3月に上毛野稚子を将軍とし、2万7千の軍兵を百済に派遣したが、同年8月に白村江の戦闘で羅・唐の連合軍によって敗戦を喫し、百済は完全に滅亡されたのであります。
第6回 7月10日(木) 張保皐と海上貿易─清海鎮設置
張保皐は810年に唐の山東半島に渡り、軍閥勢力の徐州武寧軍に入って高句麗出身の軍閥李正己と戦ったが、帰国後清海鎮(莞島)を設置し、海賊を討伐した功により清海鎮大使となります。
第7回 7月24日(木) 張保皐と慈覚大師円仁
張保皐は海上貿易による莫大な経済力を背景に、9世紀前半山東省文登県赤山村に「赤山法華院」を建立すると共に、入唐僧円仁を支援するなど、その名前は日本でもよく知られています。
講師陣
名前 | 金 任仲 |
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肩書き | 明治大学研究知財戦略機構研究員・前中国烟台大学招聘教授 |
プロフィール | 明治大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。主な著書・論文に『西行和歌と仏教思想』(笠間書院)、『日本文芸思潮史論叢』(ぺりかん社、共著)、「中世説話の和歌―和歌から説話へ」(『国文学解釈と鑑賞』72巻5号、2007)、「新羅僧元暁と義湘伝―『華厳縁起』を中心に」」(『文芸研究』106号、2008)「古代日本と朝鮮渡来文化-高麗神社と聖天院をめぐって」(『文芸研究』109号、2009)、「西行における華厳思想と和歌」(『文芸研究』115号、2011)、「新羅僧義湘と善妙の説話」(『文芸研究』118号、2012)など。 |