講座詳細情報
申し込み締切日:2012-10-22 / その他教養 / 学内講座コード:12220003
ウィキリークス以前 極秘文書の世界を紐解くー真珠湾への道ー
- 開催日
- 10月30日(火)、11月 6日(火)、11月20日(火)、12月 4日(火)、12月18日(火)
- 講座回数
- 5回
- 時間
- 13:00~14:30
- 講座区分
- 後期
- 入学金
- 3,000円
- 受講料
- 15,000円
- 定員
- 40
- 補足
※この講座の申し込みは既に締め切りました。
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講座詳細
【講座趣旨】
この講座では「真珠湾への道」を主題として、日本が満州事変から太平洋戦争開戦へと至った経緯について、昭和天皇と宮中がその意思決定にいかに関与したのか、その時々に民衆はどんな意識・本音を持っていたのかについて、天皇側近の手記・日記、特別高等警察月報、極東国際軍事裁判押収文書、昭和天皇独白録といった戦中・戦前の各種治安情報資料などから紐解いていく。
【講義概要】
第1回 10月30日(火) 戦争の前夜
昭和天皇の即位は1928(昭和3)年11月であった。大正天皇の摂政から服喪、そして満州事変前後に「即位」する中で政治君主としての昭和天皇が形成された。済南事件、張作霖爆殺事件、不戦条約、軍縮問題等を通じて形成された昭和天皇の政治的な側面をみていく。
第2回 11月 6日(火) 満州事変
維新の元勲の多くが他界してから勃発したのが満州事変であった。政治決定の前面へと押し出された天皇は、「事変」拡大の追認を繰り返すことで軍部台頭に拍車をかけてしまうことになる。昭和天皇は、この戦争を、中国を、軍部を、国際社会をどうとらえていたのかをみていく。
第3回 11月20日(火) 2・26事件
昭和天皇は、天皇機関説、国体明徴、青年将校や2・26事件をどうみていたのか、そして、民衆はこれをどうとらえていたのかをみていく。
第4回 12月 4日(火) 聖戦と南京事件
蘆溝橋事件から日中全面戦争へと展開する中で、戦争に対する意思決定は大本営政府連絡会議一御前会議という機構を形成するようになる。天皇は事態をどうとらえていたのかをみていく。
第5回 12月18日(火) 真珠湾への道
対米英開戦にむけて重要な決定は御前会議でなされた。天皇はこれにどう関与し、事態の推移をどうとらえていたのであろうか。そして、民衆の世相はどうあったのかをみていく。
この講座では「真珠湾への道」を主題として、日本が満州事変から太平洋戦争開戦へと至った経緯について、昭和天皇と宮中がその意思決定にいかに関与したのか、その時々に民衆はどんな意識・本音を持っていたのかについて、天皇側近の手記・日記、特別高等警察月報、極東国際軍事裁判押収文書、昭和天皇独白録といった戦中・戦前の各種治安情報資料などから紐解いていく。
【講義概要】
第1回 10月30日(火) 戦争の前夜
昭和天皇の即位は1928(昭和3)年11月であった。大正天皇の摂政から服喪、そして満州事変前後に「即位」する中で政治君主としての昭和天皇が形成された。済南事件、張作霖爆殺事件、不戦条約、軍縮問題等を通じて形成された昭和天皇の政治的な側面をみていく。
第2回 11月 6日(火) 満州事変
維新の元勲の多くが他界してから勃発したのが満州事変であった。政治決定の前面へと押し出された天皇は、「事変」拡大の追認を繰り返すことで軍部台頭に拍車をかけてしまうことになる。昭和天皇は、この戦争を、中国を、軍部を、国際社会をどうとらえていたのかをみていく。
第3回 11月20日(火) 2・26事件
昭和天皇は、天皇機関説、国体明徴、青年将校や2・26事件をどうみていたのか、そして、民衆はこれをどうとらえていたのかをみていく。
第4回 12月 4日(火) 聖戦と南京事件
蘆溝橋事件から日中全面戦争へと展開する中で、戦争に対する意思決定は大本営政府連絡会議一御前会議という機構を形成するようになる。天皇は事態をどうとらえていたのかをみていく。
第5回 12月18日(火) 真珠湾への道
対米英開戦にむけて重要な決定は御前会議でなされた。天皇はこれにどう関与し、事態の推移をどうとらえていたのであろうか。そして、民衆の世相はどうあったのかをみていく。
備考
【教材】
レジュメ資料
レジュメ資料
講師陣
名前 | 川島 高峰 |
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肩書き | 明治大学情報コミュニケーション学部准教授 |
プロフィール | 主著『流言投書の太平洋戦争』講談社学術文庫、訳書『昭和天皇』講談社学術文庫(2001年米国ピュリッツァ賞受賞作品)。 編集・解説『敗戦時全国治安情報』(全7巻)、監修・解説『占領軍治安諜報月報』(全14巻)、監修・解説『米軍占領下の反戦平和運動』等、これまで多くの治安情報史料の収集・編纂を行ってきた。 |