講座詳細情報
申し込み締切日:2022-10-15 / 文学 / 学内講座コード:22B1603400
編集者が語る素顔の作家たち_太宰治と周辺の人々 【ハイフレックス講座(録画あり)最終回のみ対面】
- 開催日
- 10月29日(土)、11月12日(土)、11月26日(土)
- 講座回数
- 3回
- 時間
- 第1回、第2回15:30-17:00、第3回のみ14:00から2時間程度
- 講座区分
- 数回もの
- 入学金
- -
- 受講料
- 6,500円
- 定員
- 20
- その他
- 6000(※料金は、神奈川大学生・卒業生等および横浜市交流協議会加盟大学在学生に適用される料金です)
- 補足
※この講座の申し込みは既に締め切りました。
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講座詳細
【講座内容】
講師は大学在学中より、遠藤周作編集長の「三田文学」で編集者生活を始め、卒業後「新潮社」に入社。20 年在籍した後、出版社を設立しました。その間、40 年以上にわたって、編集者として多くの作家たちに接し、仕事を続けてきました。
今期は、太宰治の周辺にいた人々の証言から、太宰治の実像を描く試みです。太宰治は青森有数の資産家の御曹司に生まれながら、3 回もの心中事件を起こすような放蕩無頼の生活を送りました。しかし、彼の作品はおそらく昭和では最大数の読者をもち、いまだに読まれ続けている稀有な作家です。
「斜陽」によって売れっ子作家となってわずか半年、最期の傑作『人間失格』を書き終えた直後の38 歳の自死はいまだに謎に包まれています。
講師は、彼と最も近い関係にあった作家の井伏鱒二氏、新潮社時代の先輩である太宰の担当編集者たち、娘の太田治子さん等々、太宰の周辺にいた人々と交流があり、それらの人々の証言はこの破滅型作家の実像を語って貴重です。
今回は3 回目に、太宰が上京後、最も長く住んだ三鷹のゆかりの場所を訪ねる「文学散歩」を行い、この作家への理解を深めたいと思います。
【講座スケジュール】
第1回10月29日(土) 「太宰治と井伏鱒二― 作家仲間との交友から見える実像」
詳細:学生時代に太宰が最初に頼ったのも、パピナール中毒の時に入院を勧めたのも、再婚の世話をしたのも、井伏鱒二であった。よく二人は旅をし、酒を飲み、気がつくといつも太宰は井伏鱒二のそばにいた。太宰治が作家になれたのは井伏鱒二がいたから、ともいわれるほど、両者の関係は深く、井伏の証言は太宰の実像を知る上で最も重要なものである。
― 講師は晩年の井伏鱒二さんの荻窪の家に通い、井伏さんから直接、太宰の話しを聞きました。荻窪の家に集った人の中で、作家の檀一雄やフランス文学者の河盛好蔵さんなども太宰に近い存在で、それらの人々の証言から、太宰の人間像を浮き彫りにします。
第2回11月12日(土) 「編集者たちの証言と死の謎」
詳細:早くから太宰治の才能を見出し、育てた編集者として知られるのは筑摩書房の創業者、古田晁氏だった。戦後は新潮社が、社会現象にまでなったベストセラー『斜陽』を刊行し、太宰を売っ子作家にした。しかし、安定した作家生活を送るかに見えた太宰だったが、『斜陽』のモデルの太田静子との間に娘・治子が生まれ、1 千万円近い税金の督促を受け、絶えず金に困る生活だった。そんな中で『如是我聞』を「新潮」に連載して、文壇に波紋を起こす。志賀直哉をはじめとする大御所たちに罵詈雑言を浴びせたのだった。
― 講師は『斜陽』と『如是我聞』の担当編集者だった野平健一氏や太宰を世に出した雑誌「新潮」の実力編集長斎藤十一氏を長年の上司としてきたほか、太宰の娘の太田治子さんら縁者と交流を持ってきました。周辺にいた人々の証言から、太宰の素顔を知り、その実像を明らかにします。
第3回11月26日(土) 「ゆかりの地を訪ねる太宰文学散歩」
詳細:太宰は昭和14 年から23 年まで、東京・三鷹に住みました。今でも三鷹には多くの太宰の史跡が残ります。記念館である「太宰治文学サロン」のほか、住んでいた家の一部を再現した「此の小さい」、太宰が仕事部屋にした「千草」跡地、玉川上水の入水場所、墓のある禅林寺などを実際に訪ね、在りし日の天才作家を偲びます。約1時間半から2時間の文学散歩です。
講師は大学在学中より、遠藤周作編集長の「三田文学」で編集者生活を始め、卒業後「新潮社」に入社。20 年在籍した後、出版社を設立しました。その間、40 年以上にわたって、編集者として多くの作家たちに接し、仕事を続けてきました。
今期は、太宰治の周辺にいた人々の証言から、太宰治の実像を描く試みです。太宰治は青森有数の資産家の御曹司に生まれながら、3 回もの心中事件を起こすような放蕩無頼の生活を送りました。しかし、彼の作品はおそらく昭和では最大数の読者をもち、いまだに読まれ続けている稀有な作家です。
「斜陽」によって売れっ子作家となってわずか半年、最期の傑作『人間失格』を書き終えた直後の38 歳の自死はいまだに謎に包まれています。
講師は、彼と最も近い関係にあった作家の井伏鱒二氏、新潮社時代の先輩である太宰の担当編集者たち、娘の太田治子さん等々、太宰の周辺にいた人々と交流があり、それらの人々の証言はこの破滅型作家の実像を語って貴重です。
今回は3 回目に、太宰が上京後、最も長く住んだ三鷹のゆかりの場所を訪ねる「文学散歩」を行い、この作家への理解を深めたいと思います。
【講座スケジュール】
第1回10月29日(土) 「太宰治と井伏鱒二― 作家仲間との交友から見える実像」
詳細:学生時代に太宰が最初に頼ったのも、パピナール中毒の時に入院を勧めたのも、再婚の世話をしたのも、井伏鱒二であった。よく二人は旅をし、酒を飲み、気がつくといつも太宰は井伏鱒二のそばにいた。太宰治が作家になれたのは井伏鱒二がいたから、ともいわれるほど、両者の関係は深く、井伏の証言は太宰の実像を知る上で最も重要なものである。
― 講師は晩年の井伏鱒二さんの荻窪の家に通い、井伏さんから直接、太宰の話しを聞きました。荻窪の家に集った人の中で、作家の檀一雄やフランス文学者の河盛好蔵さんなども太宰に近い存在で、それらの人々の証言から、太宰の人間像を浮き彫りにします。
第2回11月12日(土) 「編集者たちの証言と死の謎」
詳細:早くから太宰治の才能を見出し、育てた編集者として知られるのは筑摩書房の創業者、古田晁氏だった。戦後は新潮社が、社会現象にまでなったベストセラー『斜陽』を刊行し、太宰を売っ子作家にした。しかし、安定した作家生活を送るかに見えた太宰だったが、『斜陽』のモデルの太田静子との間に娘・治子が生まれ、1 千万円近い税金の督促を受け、絶えず金に困る生活だった。そんな中で『如是我聞』を「新潮」に連載して、文壇に波紋を起こす。志賀直哉をはじめとする大御所たちに罵詈雑言を浴びせたのだった。
― 講師は『斜陽』と『如是我聞』の担当編集者だった野平健一氏や太宰を世に出した雑誌「新潮」の実力編集長斎藤十一氏を長年の上司としてきたほか、太宰の娘の太田治子さんら縁者と交流を持ってきました。周辺にいた人々の証言から、太宰の素顔を知り、その実像を明らかにします。
第3回11月26日(土) 「ゆかりの地を訪ねる太宰文学散歩」
詳細:太宰は昭和14 年から23 年まで、東京・三鷹に住みました。今でも三鷹には多くの太宰の史跡が残ります。記念館である「太宰治文学サロン」のほか、住んでいた家の一部を再現した「此の小さい」、太宰が仕事部屋にした「千草」跡地、玉川上水の入水場所、墓のある禅林寺などを実際に訪ね、在りし日の天才作家を偲びます。約1時間半から2時間の文学散歩です。
備考
【備考】
◆こちらの講座は第3回11月26日(土)のみフィールドワークとなります。受講料には行事保険料を含みます。
ハイフレックス講座とは、対面による講座を、オンライン(Zoomによるライブ)により同じ時間に受講参加できる形態です。受講生の皆様はライフスタイルにあわせて対面、またはオンライン(ライブ)で講座に参加する事が出来ます。
例えば初回は対面で参加して、2回目の講義は自宅からライブで参加する事も可能です。また語学講座や一部講座を除き、講座は収録し、終了後に動画配信します。
※動画配信期間は、最終講座日から1週間です。
◆コロナウイルス感染症の状況により講座内容を変更または中止とする場合がございます。
◆こちらの講座は第3回11月26日(土)のみフィールドワークとなります。受講料には行事保険料を含みます。
ハイフレックス講座とは、対面による講座を、オンライン(Zoomによるライブ)により同じ時間に受講参加できる形態です。受講生の皆様はライフスタイルにあわせて対面、またはオンライン(ライブ)で講座に参加する事が出来ます。
例えば初回は対面で参加して、2回目の講義は自宅からライブで参加する事も可能です。また語学講座や一部講座を除き、講座は収録し、終了後に動画配信します。
※動画配信期間は、最終講座日から1週間です。
◆コロナウイルス感染症の状況により講座内容を変更または中止とする場合がございます。
講師陣
名前 | 宮島 正洋 |
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肩書き | 元新潮社編集者、アートデイズ編集長 |
プロフィール | 慶應義塾大学フランス文学科卒業。大学在学中より遠藤周作編集長の『三田文学』で編集者となり、卒業と同時に新潮社に入社。いくつかの雑誌編集部を経て、社長直属のメディア室に移り、「新潮カセットブック」など新しい出版の開発に携わる。1992 年、新潮社を退社して出版社アートデイズを設立し、代表取締役・編集長となる。慶應大学出版会顧問として新しい出版を指導。C・W ニコルの著作権代理人も務めている。 |