講座詳細情報
申し込み締切日:2020-02-01 / 文学:日本史 / 学内講座コード:19B1613501
右大臣藤原実資の王朝時代(2月開講) 十歳の幼帝・一条天皇の朝廷を『小右記』に見る
- 開催日
- 2月 2日(日)、 2月 9日(日)、 2月16日(日)、 3月 1日(日)、 3月 8日(日)、 3月15日(日)
- 講座回数
- 6回
- 時間
- 15:00~16:30
- 講座区分
- 後期
- 入学金
- -
- 受講料
- 9,500円
- 定員
- 30
- その他
- 8500(※料金は、神奈川大学生・卒業生等および横浜市交流協議会加盟大学在学生に適用される料金です)
- 補足
※この講座の申し込みは既に締め切りました。
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講座詳細
【講座内容】
清少納言(せいしょうなごん)や紫式部(むらさきしきぶ)の時代の天皇として知られる一条(いちじょう)天皇は、温厚(おんこう)な人柄(ひとがら)に加えて学才(がくさい)にも優れていたことで「聖帝(せいてい)」とも「賢皇(けんこう)」とも評(ひょう)されます。
しかし、その一条天皇も、即位(そくい)したのはわずか七歳のとき、言うまでもなく、玉座(ぎょくざ)に就(つ)いてから最初の数ヶ年は、天皇の母方(ははかた)の祖父として摂政(せっしょう)の地位にあった藤原兼家(かねいえ)(藤原道長の父親)の操(あやつ)り人形(にんぎょう)に過ぎませんでした。
そして、後年に右大臣(うだいじん)になる藤原実資(さねすけ)は、若き日、摂政兼家に傀儡(くぐつ)として扱われる一条天皇に、天皇の第一秘書(ひしょ)である蔵人頭(くろうどのとう)として仕(つか)えていました。そのため、実資の日記である『小右記(しょうゆうき)』には、兼家に牛耳(ぎゅうじ)られる幼い一条天皇の朝廷の様子が、つぶさに記録されています。
この講座では、藤原実資の『小右記』を紐解(ひもと)き、一条天皇がまだ十歳であった永祚(えいそ)元年(九八九)の朝廷の様子を、できるだけ詳しく見ていきたいと思います。これは、ある意味において、『枕草子(まくらのそうし)』『紫式部日記』の前史を探る試みにもなることでしょう。
【講座スケジュール】
第1回 2月 2日(日) 摂政兼家の威勢(いせい) 永祚 元年(九八九)正月・二月
詳細:摂政の私宅に集まる人々/幼帝(ようてい)の発病に慌(あわ)てる摂政/宮中の「喧嘩(けんか)」/摂政兼家の人心掌握術(じんしんしょうあくじゅつ)/王朝貴族たちの就職活動/朝廷の人事に介入(かいにゅう)する円融法皇(えんゆうほうおう)/道隆(みちたか)の内大臣就任(ないだいじんしゅう)
第2回 2月 9日(日) 一条天皇の春日社行幸(かすがしゃぎょうこう) 永祚元年三月・四月
詳細:北野天満宮(きたのてんまんぐう)の託宣(たくせん)/春日社への行幸(みゆき)/「饂飩(うんどん)」を打つ女性たち/「尾張国解文(おわりのくにげぶみ)(尾張国郡司百姓等解(ぐんじひゃくしょうらげ))」と尾張守藤原元命(もとなが)
第3回 2月16日(日) 仏教(ぶっきょう)・神道(しんとう)・陰陽道(おんみょうどう) その1 永祚元年五月・六月
詳細:餓死(がし)寸前の山岳寺院(さんがくじいん)の修行僧(しゅぎょうそう)たち/物忌(ものいみ)の日々/穢(けが)れへの恐(おそ)れ/都(みやこ)の外(そと)に出張(しゅっちょう)する陰陽師(おんみょうじ)
第4回 3月 1日(日) うち続く災難(さいなん) 永祚元年七月・八月
詳細:太政大臣(だじょうだいじん)頼忠(よりただ)の死/夢についての占(うらな)い/病人の続出/「武芸(ぶげい)の人(ひと)」が出動する事態/台風(たいふう)の甚大(じんだい)な被害(ひがい)
第5回 3月 8日(日) 紛争(ふんそう)に揺(ゆ)れる比叡山(ひえいざん) 九月・十月
詳細:摂政兼家の遊興(ゆうきょう)/新しい天台座主(てんだいざす)/比叡山の山上の「合戦(かっせん)」
第6回 3月15日(日) 一条天皇の唯一(ゆいいつ)の忠臣(ちゅうしん) 十一月・十二月
詳細:亡(な)き父親の遺産(いさん)/五節舞姫(ごせちのまいひめ)の献上(けんじょう)/うち続く御曹司(おんぞうし)たちの元服(げんぷく)/神社で殺し合う貴族たち/皇子(おうじ)の宮廷(きゅうてい)デビュー/摂政を信用できない法皇/一条天皇の元服
清少納言(せいしょうなごん)や紫式部(むらさきしきぶ)の時代の天皇として知られる一条(いちじょう)天皇は、温厚(おんこう)な人柄(ひとがら)に加えて学才(がくさい)にも優れていたことで「聖帝(せいてい)」とも「賢皇(けんこう)」とも評(ひょう)されます。
しかし、その一条天皇も、即位(そくい)したのはわずか七歳のとき、言うまでもなく、玉座(ぎょくざ)に就(つ)いてから最初の数ヶ年は、天皇の母方(ははかた)の祖父として摂政(せっしょう)の地位にあった藤原兼家(かねいえ)(藤原道長の父親)の操(あやつ)り人形(にんぎょう)に過ぎませんでした。
そして、後年に右大臣(うだいじん)になる藤原実資(さねすけ)は、若き日、摂政兼家に傀儡(くぐつ)として扱われる一条天皇に、天皇の第一秘書(ひしょ)である蔵人頭(くろうどのとう)として仕(つか)えていました。そのため、実資の日記である『小右記(しょうゆうき)』には、兼家に牛耳(ぎゅうじ)られる幼い一条天皇の朝廷の様子が、つぶさに記録されています。
この講座では、藤原実資の『小右記』を紐解(ひもと)き、一条天皇がまだ十歳であった永祚(えいそ)元年(九八九)の朝廷の様子を、できるだけ詳しく見ていきたいと思います。これは、ある意味において、『枕草子(まくらのそうし)』『紫式部日記』の前史を探る試みにもなることでしょう。
【講座スケジュール】
第1回 2月 2日(日) 摂政兼家の威勢(いせい) 永祚 元年(九八九)正月・二月
詳細:摂政の私宅に集まる人々/幼帝(ようてい)の発病に慌(あわ)てる摂政/宮中の「喧嘩(けんか)」/摂政兼家の人心掌握術(じんしんしょうあくじゅつ)/王朝貴族たちの就職活動/朝廷の人事に介入(かいにゅう)する円融法皇(えんゆうほうおう)/道隆(みちたか)の内大臣就任(ないだいじんしゅう)
第2回 2月 9日(日) 一条天皇の春日社行幸(かすがしゃぎょうこう) 永祚元年三月・四月
詳細:北野天満宮(きたのてんまんぐう)の託宣(たくせん)/春日社への行幸(みゆき)/「饂飩(うんどん)」を打つ女性たち/「尾張国解文(おわりのくにげぶみ)(尾張国郡司百姓等解(ぐんじひゃくしょうらげ))」と尾張守藤原元命(もとなが)
第3回 2月16日(日) 仏教(ぶっきょう)・神道(しんとう)・陰陽道(おんみょうどう) その1 永祚元年五月・六月
詳細:餓死(がし)寸前の山岳寺院(さんがくじいん)の修行僧(しゅぎょうそう)たち/物忌(ものいみ)の日々/穢(けが)れへの恐(おそ)れ/都(みやこ)の外(そと)に出張(しゅっちょう)する陰陽師(おんみょうじ)
第4回 3月 1日(日) うち続く災難(さいなん) 永祚元年七月・八月
詳細:太政大臣(だじょうだいじん)頼忠(よりただ)の死/夢についての占(うらな)い/病人の続出/「武芸(ぶげい)の人(ひと)」が出動する事態/台風(たいふう)の甚大(じんだい)な被害(ひがい)
第5回 3月 8日(日) 紛争(ふんそう)に揺(ゆ)れる比叡山(ひえいざん) 九月・十月
詳細:摂政兼家の遊興(ゆうきょう)/新しい天台座主(てんだいざす)/比叡山の山上の「合戦(かっせん)」
第6回 3月15日(日) 一条天皇の唯一(ゆいいつ)の忠臣(ちゅうしん) 十一月・十二月
詳細:亡(な)き父親の遺産(いさん)/五節舞姫(ごせちのまいひめ)の献上(けんじょう)/うち続く御曹司(おんぞうし)たちの元服(げんぷく)/神社で殺し合う貴族たち/皇子(おうじ)の宮廷(きゅうてい)デビュー/摂政を信用できない法皇/一条天皇の元服
講師陣
名前 | 繁田 信一 |
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肩書き | 神奈川大学日本常民文化研究所特別研究員、神奈川大学外国語学部講師 |
プロフィール | 1968 年東京都生まれ。1991 年東北大学卒業。1993 年東北大学大学院修了。修士(文学)。2003 年神奈川大学大学院修了。博士(歴史民俗資料学)。著書に『天皇たちの孤独』『殴り合う貴族たち』『御堂関白記藤原道長の日記』『御曹司たちの王朝時代』『庶民たちの平安京』(以上、角川学芸出版)、『王朝貴族の悪だくみ』(柏書房)、『かぐや姫の結婚』(PHP 研究所)、『紫式部の父親たち』(笠間書院)、『王朝貴族のおまじない』(ビイング・ネット・プレス)、『陰陽師』(中央公論新社)、『陰陽師と貴族社会』『平安貴族と陰陽師』『呪いの都 平安京』『安倍晴明』(以上、吉川弘文館)など。 |