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講座詳細情報

申し込み締切日:2017-01-11 / 日本史:その他教養

日の出農事暦と倭人のマツリ

主催:東海大学生涯学習講座事務局東海大学 品川キャンパス(東京都)]
問合せ先:東海大学生涯学習講座事務局 TEL:0463-50-2202  ※メールの場合はお問い合わせフォーム(https://ssl.action-compass.jp/tokai/inquiry/)よりご連絡ください。
開催日
2017年1月21日(土曜日)
講座回数
1回
時間
13:20~14:50
講座区分
1回もの 
入学金
 - 
受講料
1,000円
定員
100
その他
(キャンセルに伴う返金は対象外となります)
補足
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※この講座の申し込みは既に締め切りました。

講座詳細

弥生・古墳時代の暦に関する新たな見方をお話しします。なぜ暦なのかというと、マツリには必ず季節性が伴うからです。四六時中開催される祭祀など、古今東西を見渡してみてもどこにも存在しません。祭祀の対象に合わせて祈りを捧げるタイミングを見計らわなければ御利益など期待できないからです。そのような観点で弥生・古墳時代の暦を考えます。
糸口となる発見は福岡県平原遺跡でありました。2回にわたる発掘調査によって、この墓に眠る女性の被葬者は東南東にある日向峠に足を向けていたことがわかりました。さらにその方角には直径60cm の大木を垂直に立てたことがわかっています。諏訪大社の御柱を連想させる大柱ですが、この柱から伸びる日の出時の影が被葬者の眠る墓壙の中央に向けて伸びる日は年に2回あり、それが伊勢神宮の祈年祭と神嘗祭の日取りと一致するのです。偶然の一致ではありえません。
魏志倭人伝には、当時の倭人は正式な暦を知らず、ただ稲作の開始と収穫を「計り」歳を数えたとありますが、さきの大柱から伸びる影が墓壙中央に伸びるタイミングを見定める行為を「計る」と表現したとしても不思議ではありません。
平原遺跡は伊都国王墓だといわれることも注目されます。このような大柱(古代中国では「表」と呼ぶ)をもちいた日の出暦の存在は重要で、ここには各種のマツリと季節性の問題を解く鍵があると思います。
今後は古墳と神社の関係についても同様の視点からの比較が可能になるでしょう。

備考

定   員 100名
申込期間 2016年8月24日(水)〜2017年1月11日(水)

講師陣

名前 北條 芳隆
肩書き 東海大学文学部教授、文学部長
プロフィール 1960年、長野県生まれ。1985年岡山大学法文学部卒業、1991年大阪大学大学院博士後期課程満期退学。1992年~2002年徳島大学埋蔵文化財調査室。2002年~東海大学文学部歴史学科考古学専攻。古墳時代の成立過程の研究をテーマとして、古墳の設計や腕輪形石製品の研究を進めている。
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