講座詳細情報
申し込み締切日:2023-07-06 / 世界史 / 学内講座コード:23120318
ドイツ誕生 神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世【対面】 【対面/世界の文化・歴史/その他/】
- 開催日
- 7月14日(金)、 7月21日(金)、 7月28日(金)、 8月 4日(金)、 8月18日(金)
- 講座回数
- 5回
- 時間
- 11:00~12:30
- 講座区分
- 前期
- 入学金
- -
- 受講料
- 15,125円
- 定員
- 30
- 補足
※この講座の申し込みは既に締め切りました。
講座詳細
【講座趣旨】
オットーが初代神聖ローマ皇帝に即位した10世紀後半にはドイツはおろかドイツという言葉すら存在していなかった。それがなぜ「ドイツ誕生」なのか?
本講座はオットーがインターナショナルな世界帝国を志向する道程で図らずもドイツというナショナルな国家を作ったからくりをオットーの生涯を通して覗くものです。
【特記事項】
※本講座は対面型となります。
■対面型講座における感染予防対策については以下をご確認ください。
なお、本学独自の活動制限指針レベルおよび感染症拡大状況を踏まえ、中止とする場合があります。
・対面型講座における感染症予防対策について
・対面型講座出席者に感染者または濃厚接触者が出た場合の取扱フロー
■申込締切日: 7 月 6 日(木 )
■受講に際し、必ず入会と受講のご案内をご確認ください。
【講義概要】
第1回 7月14日(金) ヨーロッパの誕生とカール大帝のフランク大帝国の分割─東フランク王国(後のドイツ王国)の成立
古代ローマ帝国の東西分裂と西ローマ帝国の滅亡後、西ヨーロッパは混迷を極める。800年、カール大帝は西ローマ帝国をキリス ト教帝国として復活させる。これにより西ヨーロッパのアイデンティ ティーが確立されるが、後に帝国は中部、西、東に分割される。そのうち東フランク王国は大帝の血筋が絶え、やがてザクセン族のハインリ ヒが王に即位し、息子のオットーに王位を継がせる
第2回 7月21日(金) オットーの東フランク王即位と兄と弟の反乱
オットーが東フランク王に即位した直後、東フランクは2度の 内戦に見舞われる。まずは庶子に落とされた異母兄タンクマールが、 オットーの強権政治に不満を持つ大貴族と結託し反乱を起す。これを 何とか押さえ切ったのも束の間、今度は母マティルデに溺愛された弟ハインリヒが2度にわたって反乱を仕掛ける。オットーは反乱を鎮圧 し、中央集権体制を構築しようとする
第3回 7月28日(金) 帝国教会政策と長男リウドルフの反乱
オットーは教会勢力を王国の中枢に取り込み国内の統治機構を整備する。そして時のローマ教皇の要請に応じて第一次イタリア遠征を敢行するが、このことがやがて長男リウドルフとの軋轢を生み、リウドルフは父オットーの反旗を翻すことになる
第4回 8月 4日(金) イタリア政策
長男リウドルフの反乱を鎮圧し、さらには東フランクの長年 の宿敵ハンガリーを撃破したオットーは国内の権力基盤を強固なものにした。そして西フランク王国(後のフランス王国)をはじめとする周辺諸国に対して圧倒的立場を確立した後オットーは満を持して皇帝へ の道をひた走る
第5回 8月18日(金) オットーの皇帝即位とドイツナショナリズム誕生の萌し
962年、オットーはローマのバチカンで初代神聖ローマ皇帝に即位した。そしてオットーはイタリア各地の反乱を抑えるために結局、第1次、2次、3 次と足掛け10年以上にわたるイタリア遠征を繰り返すことになる。その間、オットーに従う東フランク軍はイタリア人に民衆語(ドイツ語) を喋る連中(ドイツ人)と揶揄され続け、そのうち他称されていたド イツ人を自称することとなった。
オットーが初代神聖ローマ皇帝に即位した10世紀後半にはドイツはおろかドイツという言葉すら存在していなかった。それがなぜ「ドイツ誕生」なのか?
本講座はオットーがインターナショナルな世界帝国を志向する道程で図らずもドイツというナショナルな国家を作ったからくりをオットーの生涯を通して覗くものです。
【特記事項】
※本講座は対面型となります。
■対面型講座における感染予防対策については以下をご確認ください。
なお、本学独自の活動制限指針レベルおよび感染症拡大状況を踏まえ、中止とする場合があります。
・対面型講座における感染症予防対策について
・対面型講座出席者に感染者または濃厚接触者が出た場合の取扱フロー
■申込締切日: 7 月 6 日(木 )
■受講に際し、必ず入会と受講のご案内をご確認ください。
【講義概要】
第1回 7月14日(金) ヨーロッパの誕生とカール大帝のフランク大帝国の分割─東フランク王国(後のドイツ王国)の成立
古代ローマ帝国の東西分裂と西ローマ帝国の滅亡後、西ヨーロッパは混迷を極める。800年、カール大帝は西ローマ帝国をキリス ト教帝国として復活させる。これにより西ヨーロッパのアイデンティ ティーが確立されるが、後に帝国は中部、西、東に分割される。そのうち東フランク王国は大帝の血筋が絶え、やがてザクセン族のハインリ ヒが王に即位し、息子のオットーに王位を継がせる
第2回 7月21日(金) オットーの東フランク王即位と兄と弟の反乱
オットーが東フランク王に即位した直後、東フランクは2度の 内戦に見舞われる。まずは庶子に落とされた異母兄タンクマールが、 オットーの強権政治に不満を持つ大貴族と結託し反乱を起す。これを 何とか押さえ切ったのも束の間、今度は母マティルデに溺愛された弟ハインリヒが2度にわたって反乱を仕掛ける。オットーは反乱を鎮圧 し、中央集権体制を構築しようとする
第3回 7月28日(金) 帝国教会政策と長男リウドルフの反乱
オットーは教会勢力を王国の中枢に取り込み国内の統治機構を整備する。そして時のローマ教皇の要請に応じて第一次イタリア遠征を敢行するが、このことがやがて長男リウドルフとの軋轢を生み、リウドルフは父オットーの反旗を翻すことになる
第4回 8月 4日(金) イタリア政策
長男リウドルフの反乱を鎮圧し、さらには東フランクの長年 の宿敵ハンガリーを撃破したオットーは国内の権力基盤を強固なものにした。そして西フランク王国(後のフランス王国)をはじめとする周辺諸国に対して圧倒的立場を確立した後オットーは満を持して皇帝へ の道をひた走る
第5回 8月18日(金) オットーの皇帝即位とドイツナショナリズム誕生の萌し
962年、オットーはローマのバチカンで初代神聖ローマ皇帝に即位した。そしてオットーはイタリア各地の反乱を抑えるために結局、第1次、2次、3 次と足掛け10年以上にわたるイタリア遠征を繰り返すことになる。その間、オットーに従う東フランク軍はイタリア人に民衆語(ドイツ語) を喋る連中(ドイツ人)と揶揄され続け、そのうち他称されていたド イツ人を自称することとなった。
備考
【教材】
配付資料
※定員の充足状況の変化や、休講・補講等がある場合があります。
お申込の際は、リンク先の主催校のホームページをご確認下さい。
配付資料
※定員の充足状況の変化や、休講・補講等がある場合があります。
お申込の際は、リンク先の主催校のホームページをご確認下さい。
講師陣
名前 | 菊池 良生 |
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肩書き | 明治大学名誉教授 |
プロフィール | - |