講座詳細情報
申し込み締切日:2023-01-05 / 世界史 / 学内講座コード:22220316
【対面】ウィーン包囲 オスマン・トルコと神聖ローマ帝国の激闘【対面/世界の文化・歴史/その他/】
- 開催日
- 1月13日(金)、 1月20日(金)、 1月27日(金)、 2月 3日(金)
- 講座回数
- 4回
- 時間
- 11:00~12:30
- 講座区分
- 後期
- 入学金
- -
- 受講料
- 11,000円
- 定員
- 30
- 補足
※この講座の申し込みは既に締め切りました。
講座詳細
【講座趣旨】
1683年、十数万のオスマン・トルコ軍がウィーンを包囲しました。この最強の軍隊を迎え撃つハプスブルク家と帝国諸侯たちはそれぞれの思惑を胸に危機に立ち向かいました。本講座はこのイスラーム世界Vsヨーロッパキリスト教世界という東西対立の頂点ともなった2か月に及んだ「ウィーン包囲」の攻防の推移とその結果を克明に辿ることになります。
【特記事項】
※本講座は対面型となります。
■対面型講座における感染予防対策については以下をご確認ください。
なお、本学独自の活動制限指針レベルおよび感染症拡大状況を踏まえ、中止とする場合があります。
・対面型講座における感染症予防対策について
・対面型講座出席者に感染者または濃厚接触者が出た場合の取扱フロー
■申込締切日:12月22日(木)
■受講に際し、必ず入会と受講のご案内をご確認ください。
【講義概要】
第1回 1月13日(金) 第一次ウィーン包囲
1529年、オスマン・トルコのスレイマン大帝がウィーンを包囲する。ハンガリーを巡ってハプスブルク家とトルコの150年にも及ぶ熾烈な戦いの始まりである。
第2回 1月20日(金) 第二次ウィーン包囲
1683年、またしてもトルコ軍がウィーンを包囲した。ドイツ30年戦争でヨーロッパの覇権を失ったハプスブルク家はこの危機にどうたちむかうのか?
第3回 1月27日(金) ウィーン攻防
籠城軍の必死の抵抗、皇帝レオポルト1世の外交戦、ローマ教皇のウィーン救出の訴え、フランス王ルイ14世の動向、救援に駆け付けた帝国諸侯とポーランド王の思惑は?
第4回 2月 3日(金) 戦いすんで
ついにオスマン・トルコ軍を撃退したハプスブルク家は再び権威を取り戻しヨーロッパ列強に返り咲いた。そしてウィーンはベルサイユ・バロックと覇を争う華麗なバロック都市となる。
1683年、十数万のオスマン・トルコ軍がウィーンを包囲しました。この最強の軍隊を迎え撃つハプスブルク家と帝国諸侯たちはそれぞれの思惑を胸に危機に立ち向かいました。本講座はこのイスラーム世界Vsヨーロッパキリスト教世界という東西対立の頂点ともなった2か月に及んだ「ウィーン包囲」の攻防の推移とその結果を克明に辿ることになります。
【特記事項】
※本講座は対面型となります。
■対面型講座における感染予防対策については以下をご確認ください。
なお、本学独自の活動制限指針レベルおよび感染症拡大状況を踏まえ、中止とする場合があります。
・対面型講座における感染症予防対策について
・対面型講座出席者に感染者または濃厚接触者が出た場合の取扱フロー
■申込締切日:12月22日(木)
■受講に際し、必ず入会と受講のご案内をご確認ください。
【講義概要】
第1回 1月13日(金) 第一次ウィーン包囲
1529年、オスマン・トルコのスレイマン大帝がウィーンを包囲する。ハンガリーを巡ってハプスブルク家とトルコの150年にも及ぶ熾烈な戦いの始まりである。
第2回 1月20日(金) 第二次ウィーン包囲
1683年、またしてもトルコ軍がウィーンを包囲した。ドイツ30年戦争でヨーロッパの覇権を失ったハプスブルク家はこの危機にどうたちむかうのか?
第3回 1月27日(金) ウィーン攻防
籠城軍の必死の抵抗、皇帝レオポルト1世の外交戦、ローマ教皇のウィーン救出の訴え、フランス王ルイ14世の動向、救援に駆け付けた帝国諸侯とポーランド王の思惑は?
第4回 2月 3日(金) 戦いすんで
ついにオスマン・トルコ軍を撃退したハプスブルク家は再び権威を取り戻しヨーロッパ列強に返り咲いた。そしてウィーンはベルサイユ・バロックと覇を争う華麗なバロック都市となる。
備考
講師陣
名前 | 菊池 良生 |
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肩書き | 明治大学名誉教授 |
プロフィール | - |