講座詳細情報
申し込み締切日:2013-04-10 / 文学 / 学内講座コード:13120035
弥生時代の遺跡を語るⅡ―邪馬台国への道:北部九州―
- 開催日
- 4月18日(木)、 5月 9日(木)、 5月23日(木)、 6月20日(木)、 7月 4日(木)、 7月18日(木)、10月 3日(木)、10月17日(木)、11月 7日(木)、11月21日(木)
- 講座回数
- 10回
- 時間
- 18:30~20:00
- 講座区分
- 前期
- 入学金
- 3,000円
- 受講料
- 22,000円
- 定員
- 60
- 補足
※この講座の申し込みは既に締め切りました。
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講座詳細
【講座趣旨】
弥生時代とは、稲作農耕を基盤とする社会が成立してから前方後円墳が出現するまでの時代です。しかし、一口に弥生時代といっても地域ごとにかなりその姿・内容が異なっています。本講座では、そうした地域ごとの弥生時代の実像を、代表的な遺跡を取り上げながら解説します。
初回の昨年は、北部九州を取り上げました。その続編として今年度は対象地域を広げて、魏志倭人伝に登場する国々のうち、大陸側の狗邪韓国を含めて北部九州の諸地域を取り上げます。
【講義概要】
第1回 4月18日(木) 狗邪韓国のムラー韓国・金海貝塚と周辺の遺跡ー
魏志倭人伝に、海を渡って倭人の世界へ向かう出発地として記された狗邪韓国は、現在の慶尚南道金海市一帯の地域と考えられる。金海?里貝塚および周辺の同時代遺跡の調査成果が蓄積されており、倭系遺物も明瞭である。
第2回 5月 9日(木) 渡海の島―韓国・勒島遺跡―
慶尚南道泗川市にある勒島遺跡は、貝塚を伴う海洋性村落であり、狗邪韓国から対馬にわたる拠点のひとつと目されている。また、人骨も多数出土しており、北部九州の弥生人の骨格との比較も行われている。
第3回 5月23日(木) 始めて―海を渡る千余里ー対馬の遺跡群―
対馬は、韓諸国と北部九州諸国をつなぐ中継地として重要な位置を占める。弥生時代遺跡も多数あるが、広範囲の調査事例はほとんどなく、不明な点が多い。しかし、魏志倭人伝とかかわる弥生時代後期の遺跡と遺物は比較的多く、朝鮮半島系遺物が明瞭である。
第4回 6月20日(木) 瀚海を渡る千余里―支国の遺跡群―
支国の中心地は、いうまでもなく原の辻遺跡である。壱岐島は、対馬に比べて肥沃な平野部があり、その中心部に原の辻遺跡があり、魏志倭人伝に「南北に市糴す」とあるように、北部九州・朝鮮半島双方からもたらされた資料も多い。
第5回 7月 4日(木) 末盧国に至る―唐津市桜馬場遺跡と周辺の遺跡群―
末盧国は、現在の佐賀県唐津市周辺と考えられる。現在よりも海が深く唐津平野に入り込んでおり、魏志倭人伝に「山海に浜(そ)うて居る」と記された記事を彷彿とさせる。桜馬場遺跡では漢鏡や鉄刀の副葬が見られる。
第6回 7月18日(木) 世々王あるも皆女王国に統属す―伊都国の遺跡群(1)―
伊都国は現在の福岡県糸島市南部(旧前原市)域にあたる。三雲南小路・井原鑓溝・平原という3代にわたる「伊都国王」と推定される弥生墳墓が確認されている。しかし、それらの被葬者は生前、「皆女王国に統属」していたという。
第7回 10月 3日(木) 世々王あるも皆女王国に統属す―伊都国の遺跡群(2)―
近年、伊都国域の低地部に立地する遺跡が相次いで発掘されている。伊都国には(一)大率という検察役がいて、港で文書や物資を検めていたという。低地部に見つかる遺跡群は、まさしくそうした情景を想像させる。
第8回 10月17日(木) 魏志倭人伝に見えない〈早良〉―福岡市吉武遺跡群―
伊都国と奴国の間にある早良平野は、弥生時代遺跡の密集地でありながら、魏志倭人伝には登場しない。奴国の領域内からなのかもしれないが、弥生時代の北部九州を語るには省くことができない地域である。
第9回 11月 7日(木) 二万余戸の大国・奴国―比恵那珂遺跡群・須玖遺跡群―
奴国の地はほぼ現在の福岡平野一帯である。宅地化が進行して全体像はつかみにくいものの、須玖遺跡群や比恵・那珂遺跡群の調査によって、この地域は伊都国を凌ぐ最有力地域であることが判明している。
第10回 11月21日(木) 邪馬台国時代の北部九州を考える
狗邪韓国から奴国までの諸地域の遺跡群を述べてきた上で、この時代の北部九州を考える。しかし、なぜ邪馬台国を論じないのか、と不思議に思われる方がおいでであろう。それは、考古学からみて、とうてい北部九州にそれを想定することはできないからである。
弥生時代とは、稲作農耕を基盤とする社会が成立してから前方後円墳が出現するまでの時代です。しかし、一口に弥生時代といっても地域ごとにかなりその姿・内容が異なっています。本講座では、そうした地域ごとの弥生時代の実像を、代表的な遺跡を取り上げながら解説します。
初回の昨年は、北部九州を取り上げました。その続編として今年度は対象地域を広げて、魏志倭人伝に登場する国々のうち、大陸側の狗邪韓国を含めて北部九州の諸地域を取り上げます。
【講義概要】
第1回 4月18日(木) 狗邪韓国のムラー韓国・金海貝塚と周辺の遺跡ー
魏志倭人伝に、海を渡って倭人の世界へ向かう出発地として記された狗邪韓国は、現在の慶尚南道金海市一帯の地域と考えられる。金海?里貝塚および周辺の同時代遺跡の調査成果が蓄積されており、倭系遺物も明瞭である。
第2回 5月 9日(木) 渡海の島―韓国・勒島遺跡―
慶尚南道泗川市にある勒島遺跡は、貝塚を伴う海洋性村落であり、狗邪韓国から対馬にわたる拠点のひとつと目されている。また、人骨も多数出土しており、北部九州の弥生人の骨格との比較も行われている。
第3回 5月23日(木) 始めて―海を渡る千余里ー対馬の遺跡群―
対馬は、韓諸国と北部九州諸国をつなぐ中継地として重要な位置を占める。弥生時代遺跡も多数あるが、広範囲の調査事例はほとんどなく、不明な点が多い。しかし、魏志倭人伝とかかわる弥生時代後期の遺跡と遺物は比較的多く、朝鮮半島系遺物が明瞭である。
第4回 6月20日(木) 瀚海を渡る千余里―支国の遺跡群―
支国の中心地は、いうまでもなく原の辻遺跡である。壱岐島は、対馬に比べて肥沃な平野部があり、その中心部に原の辻遺跡があり、魏志倭人伝に「南北に市糴す」とあるように、北部九州・朝鮮半島双方からもたらされた資料も多い。
第5回 7月 4日(木) 末盧国に至る―唐津市桜馬場遺跡と周辺の遺跡群―
末盧国は、現在の佐賀県唐津市周辺と考えられる。現在よりも海が深く唐津平野に入り込んでおり、魏志倭人伝に「山海に浜(そ)うて居る」と記された記事を彷彿とさせる。桜馬場遺跡では漢鏡や鉄刀の副葬が見られる。
第6回 7月18日(木) 世々王あるも皆女王国に統属す―伊都国の遺跡群(1)―
伊都国は現在の福岡県糸島市南部(旧前原市)域にあたる。三雲南小路・井原鑓溝・平原という3代にわたる「伊都国王」と推定される弥生墳墓が確認されている。しかし、それらの被葬者は生前、「皆女王国に統属」していたという。
第7回 10月 3日(木) 世々王あるも皆女王国に統属す―伊都国の遺跡群(2)―
近年、伊都国域の低地部に立地する遺跡が相次いで発掘されている。伊都国には(一)大率という検察役がいて、港で文書や物資を検めていたという。低地部に見つかる遺跡群は、まさしくそうした情景を想像させる。
第8回 10月17日(木) 魏志倭人伝に見えない〈早良〉―福岡市吉武遺跡群―
伊都国と奴国の間にある早良平野は、弥生時代遺跡の密集地でありながら、魏志倭人伝には登場しない。奴国の領域内からなのかもしれないが、弥生時代の北部九州を語るには省くことができない地域である。
第9回 11月 7日(木) 二万余戸の大国・奴国―比恵那珂遺跡群・須玖遺跡群―
奴国の地はほぼ現在の福岡平野一帯である。宅地化が進行して全体像はつかみにくいものの、須玖遺跡群や比恵・那珂遺跡群の調査によって、この地域は伊都国を凌ぐ最有力地域であることが判明している。
第10回 11月21日(木) 邪馬台国時代の北部九州を考える
狗邪韓国から奴国までの諸地域の遺跡群を述べてきた上で、この時代の北部九州を考える。しかし、なぜ邪馬台国を論じないのか、と不思議に思われる方がおいでであろう。それは、考古学からみて、とうてい北部九州にそれを想定することはできないからである。
備考
【教材】
・レジュメ資料
・参考図書は初回に提示致します。
・レジュメ資料
・参考図書は初回に提示致します。
講師陣
名前 | 石川 日出志 |
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肩書き | 明治大学文学部教授 |
プロフィール | 1954年新潟県生まれ。専門は日本考古学・弥生時代。弥生時代併行期に日本列島各地で展開した文化の多様性と相互の関係性を読み解くことが現在の課題。主な著書に、『農耕社会の成立』(岩波書店)、『「弥生時代」の発見 弥生町遺跡』(新泉社:以上単著、以下共著)、『図解・日本の人類遺跡』(東京大学出版会)、『シンポジウム弥生時代の考古学』(学生社)、『考古資料大観1 弥生・古墳時代 土器1』(小学館)など。 |