講座詳細情報
申し込み締切日:2015-01-19 / 日本史 / 学内講座コード:14B1612901
徳川家康の大御所政治
- 開催日
- 1月20日(火)、 1月27日(火)、 2月 3日(火)、 2月10日(火)、 2月17日(火)、 2月24日(火)、 3月 3日(火)
- 講座回数
- 7回
- 時間
- 13:00~14:30
- 講座区分
- 後期
- 入学金
- -
- 受講料
- 11,000円
- 定員
- 50
- その他
- 9900(※料金は、神奈川大学生・卒業生等および横浜市交流協議会加盟大学在学生に適用される料金です)
- 補足
※この講座の申し込みは既に締め切りました。
講座詳細
【講座内容】
「家督を譲る」ことは、何を意味するのであろうか。織田信長は家督を信忠に譲り、隠居して家臣のもとに身を寄せたが、そののち壮大な安土城を築いた。豊臣秀吉は家督を甥の秀次に譲り、関白職も辞したのち、大軍を率いて朝鮮に渡海しようとした。徳川家康の全生涯を考える場合も、将軍職を僅か2年で手放し、駿府(現在の静岡市)にこもって「大御所」となってからの時期に重要な問題が秘められているように思われる。なお、2013年度前期に開講を予定していた「文芸にみる江戸時代の初期」で採り上げた文芸作品については、この講座のなかで検討する予定である。
【講座スケジュール】
第1回 1月20日(火) 徳川家康の全体像について
詳細:家康は、いわゆる「松平中心史観」によって極端に神格化されているため、真実の姿が見えにくくなっています。ここでは、江戸時代の良質な記録類を比較検討し、それが明治以降の史書にいかに継承されたかについて検討します。
第2回 1月27日(火) 大御所政治の展開
詳細:駿府城に入った家康は、東(江戸の幕府=秀忠政権)と西(大坂城の豊臣秀頼と淀君)を睨みながら内政に専心し、また、朝鮮などに独自の外交政策を展開しました。この「駿府政権」と呼ばれるものの実態は何だったのでしょうか。
第3回 2月 3日(火) 御三家の成立
詳細:家康は自分の息子を藩主に据え、尾張藩・紀州藩・水戸藩という御三家を創設し、きたるべき大坂方との対決に備えました。しかし、後継者をめぐる一門内部の確執もあり、前途は安泰と言えない面もありました。
第4回 2月10日(火) 朝廷と武家政権
詳細:朝廷は京都所司代を通じて武家方の監視下に置かれましたが、儀礼の面などで独自の立場を貫いていました。後水尾天皇の即位をめぐる公武のかかわりや、公家社会の実態について、当時の史料からたどっていきます。
第5回 2月17日(火) キリシタンの禁圧政策
詳細:家康はキリシタンに好意的な態度をとっていましたが、幕府は慶長18年(1613)に信徒の弾圧に踏み切り、やがて禁教(および鎖国)が国是となりました。ここでは武家政権の外交・宗教政策の全容を検討します。
第6回 2月24日(火) 豊臣家滅亡への道
詳細:慶長20年(=元和元年、1615)の大坂夏の陣で豊臣家は滅亡し、文字通りの徳川体制が成立します。大名統制や百姓・町人への政策などを通じて、大御所政治が後世に遺したものは何であったかを振り返ります。
第7回 3月 3日(火) 神に祀られた家康
詳細:元和2年に世を去る家康は、遺言で「関八州の鎮守」となることを望みます。やがて家康は東照大権現として神に祀られ、秀吉は神の座を追われました。なぜ家康は「日本全土の守護神」を望まなかったのでしょうか。
「家督を譲る」ことは、何を意味するのであろうか。織田信長は家督を信忠に譲り、隠居して家臣のもとに身を寄せたが、そののち壮大な安土城を築いた。豊臣秀吉は家督を甥の秀次に譲り、関白職も辞したのち、大軍を率いて朝鮮に渡海しようとした。徳川家康の全生涯を考える場合も、将軍職を僅か2年で手放し、駿府(現在の静岡市)にこもって「大御所」となってからの時期に重要な問題が秘められているように思われる。なお、2013年度前期に開講を予定していた「文芸にみる江戸時代の初期」で採り上げた文芸作品については、この講座のなかで検討する予定である。
【講座スケジュール】
第1回 1月20日(火) 徳川家康の全体像について
詳細:家康は、いわゆる「松平中心史観」によって極端に神格化されているため、真実の姿が見えにくくなっています。ここでは、江戸時代の良質な記録類を比較検討し、それが明治以降の史書にいかに継承されたかについて検討します。
第2回 1月27日(火) 大御所政治の展開
詳細:駿府城に入った家康は、東(江戸の幕府=秀忠政権)と西(大坂城の豊臣秀頼と淀君)を睨みながら内政に専心し、また、朝鮮などに独自の外交政策を展開しました。この「駿府政権」と呼ばれるものの実態は何だったのでしょうか。
第3回 2月 3日(火) 御三家の成立
詳細:家康は自分の息子を藩主に据え、尾張藩・紀州藩・水戸藩という御三家を創設し、きたるべき大坂方との対決に備えました。しかし、後継者をめぐる一門内部の確執もあり、前途は安泰と言えない面もありました。
第4回 2月10日(火) 朝廷と武家政権
詳細:朝廷は京都所司代を通じて武家方の監視下に置かれましたが、儀礼の面などで独自の立場を貫いていました。後水尾天皇の即位をめぐる公武のかかわりや、公家社会の実態について、当時の史料からたどっていきます。
第5回 2月17日(火) キリシタンの禁圧政策
詳細:家康はキリシタンに好意的な態度をとっていましたが、幕府は慶長18年(1613)に信徒の弾圧に踏み切り、やがて禁教(および鎖国)が国是となりました。ここでは武家政権の外交・宗教政策の全容を検討します。
第6回 2月24日(火) 豊臣家滅亡への道
詳細:慶長20年(=元和元年、1615)の大坂夏の陣で豊臣家は滅亡し、文字通りの徳川体制が成立します。大名統制や百姓・町人への政策などを通じて、大御所政治が後世に遺したものは何であったかを振り返ります。
第7回 3月 3日(火) 神に祀られた家康
詳細:元和2年に世を去る家康は、遺言で「関八州の鎮守」となることを望みます。やがて家康は東照大権現として神に祀られ、秀吉は神の座を追われました。なぜ家康は「日本全土の守護神」を望まなかったのでしょうか。
講師陣
名前 | 三鬼 清一郎 |
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肩書き | 名古屋大学名誉教授 |
プロフィール | 1966年東京大学大学院満期退学。同年東京大学史料編纂所勤務。名古屋大学教授等を経て、2000年より2006年3月まで神奈川大学教授。専門は日本近世史。主要著書に『鉄砲とその時代』(吉川弘文館から再刊)、『織豊期の国家と秩序』、『豊臣政権の法と朝鮮出兵』(以上、青史出版)、など。 |