講座詳細情報
申し込み締切日:2016-05-10 / 日本史 / 学内講座コード:113
古墳と国造と郡司※土曜日※
- 開催日
- 土曜日
5月14日、21日、28日
6月4日、11日、18日、25日
7月2日
(※ 7月2日 9:00~17:00)
- 講座回数
- 8
- 時間
- 13:15~14:45
- 講座区分
- 前期
- 入学金
- 5,000円
- 受講料
- 17,500円
- 定員
- 40
- 補足
※この講座の申し込みは既に締め切りました。
講座詳細
古墳と国造と郡司−考古資料と古代史料の接点を学ぶ−
≪シリーズ講座 郷土の歴史を学ぼう≫
第1回 古墳・国造・郡家の関係を考える(坂本和俊)
律令期に国の下に位置付けられた郡は、近代にまで継承された。その郡司に優先的に登用されたのが、国造であった。しかし、国造制が整備される時期と国造の実態については、不明な点が多い。それらの問題を明らかにするには、国造制の成立と時期が重なる古墳の動向、評・郡の役所の成立と設置などから明らかにする必要がある。そうした問題を学史を踏まえて概観したい。
第2回 武蔵国造内乱伝承と埼玉古墳群−学史と展望−(若松良一)
南武蔵の古墳築造の衰退と北武蔵の埼玉古墳群の築造開始を、武蔵国造の内乱による政権交代と捉えた甘粕健の仮説は魅力的なものであった。しかし、その後の埼玉古墳群の発掘調査によって疑問が呈されることとなった。本講では、金井塚良一の反論、吉川国男の新仮説などを吟味しながら、新たな展望を模索する。
第3回 武蔵の中央にない那珂郡を考える(坂本和俊)
武蔵国那賀郡の領域は、今の埼玉県児玉郡美里町が中心だったと考えられる。その地は、武蔵国や埼玉県の北端に位置しているのに郡名の那珂は中央を意味する。その由来を考える時に、埼玉県北部が弥生から古墳時代に、武蔵の大半とは文化が異なっていたのが頭に浮かぶ。その地域に国造が置かれ、その領域が分割された中央が那珂郡であると捉えると理解し易いことを資料から示したい。
第4回 埴輪から見た武蔵国造と菊間国造(山﨑武)
武蔵国造の奥津城と考えられている埼玉古墳群と菊間国造の墓と考えられている市原市山倉1号墳の関係を埴輪から再検討する。また、両者の埴輪の供給には、鴻巣市生出塚埴輪跡が深く関係しており、埴輪の供給には、親族関係が重要な要素であったのかを併せて考える。
第5回 幡羅評家と榛澤評家設置の背景を探る(知久裕昭)
幡羅・榛澤評家は、7世紀後半に成立し、7世紀末頃には官衙施設が整備されていきます。中央においても、政治体制が大きく再編される時期であり、幡羅・榛澤評家跡は、地方行政における該期の変遷を辿ることのできる数少ない調査事例です。両遺跡の分析から、立評と評家の設置を通して、地方社会がいかにして律令による中央集権体制に組み込まれていくのか考えていきたいと思います。
第6回 須恵器から入間評と高麗郡の設置を辿る(加藤恭朗)
霊亀2年(716年)、古代入間郡の一部をさき、関東の7か国の高麗人を集めて高麗郡が建郡された。考古学の成果から、現在の日高市、飯能市を中心とした地域が高麗郡の郡域と考えられる。
どのような理由でこの地域に高麗郡が建郡されたのかは、明らかになっていないが、古代集落の動向や入間郡内の須恵器の流通などを通して、この課題にアプローチしてみたい。
第7回 那須国造碑解明に挑んだ黄門様の発掘(篠原祐一)
水戸黄門こと徳川光圀は、領内巡察のおり那須国造碑の存在を知ります。そこには那須国造である那須直韋提(なすのあたいいで)が那須郡の評督(こおりのかみ)になったことが記されていました。光圀は石碑を復元し覆堂で保護します。そして、碑文の主の墓を求め、日本で最初の学術調査となる下侍塚古墳の発掘を行います。今を去ること324年前のことでした。講座では、発掘の成果や最新の碑文解読の状況、那須地方の古墳や那須官衙・東山道など、古代の那須の知られざる歴史を解き明かします。
第8回 フィールドスタディー(坂本和俊)
古代史の世界では郡評論争と云う論争があった。論争の素材の一つ、郡に先行して評が置かれたことを示す史料として那須国造碑があげられる。その碑が安置されている笠石神社、水戸光圀が那須国造碑の解明のために発掘調査を行った上侍塚古墳、昭和40年代に発掘と整備がされた那須官衙遺跡、なす風土記の丘資料館を見学し、古墳・国造・郡司の関係を肌で感じて貰うことを目指したい。
≪シリーズ講座 郷土の歴史を学ぼう≫
第1回 古墳・国造・郡家の関係を考える(坂本和俊)
律令期に国の下に位置付けられた郡は、近代にまで継承された。その郡司に優先的に登用されたのが、国造であった。しかし、国造制が整備される時期と国造の実態については、不明な点が多い。それらの問題を明らかにするには、国造制の成立と時期が重なる古墳の動向、評・郡の役所の成立と設置などから明らかにする必要がある。そうした問題を学史を踏まえて概観したい。
第2回 武蔵国造内乱伝承と埼玉古墳群−学史と展望−(若松良一)
南武蔵の古墳築造の衰退と北武蔵の埼玉古墳群の築造開始を、武蔵国造の内乱による政権交代と捉えた甘粕健の仮説は魅力的なものであった。しかし、その後の埼玉古墳群の発掘調査によって疑問が呈されることとなった。本講では、金井塚良一の反論、吉川国男の新仮説などを吟味しながら、新たな展望を模索する。
第3回 武蔵の中央にない那珂郡を考える(坂本和俊)
武蔵国那賀郡の領域は、今の埼玉県児玉郡美里町が中心だったと考えられる。その地は、武蔵国や埼玉県の北端に位置しているのに郡名の那珂は中央を意味する。その由来を考える時に、埼玉県北部が弥生から古墳時代に、武蔵の大半とは文化が異なっていたのが頭に浮かぶ。その地域に国造が置かれ、その領域が分割された中央が那珂郡であると捉えると理解し易いことを資料から示したい。
第4回 埴輪から見た武蔵国造と菊間国造(山﨑武)
武蔵国造の奥津城と考えられている埼玉古墳群と菊間国造の墓と考えられている市原市山倉1号墳の関係を埴輪から再検討する。また、両者の埴輪の供給には、鴻巣市生出塚埴輪跡が深く関係しており、埴輪の供給には、親族関係が重要な要素であったのかを併せて考える。
第5回 幡羅評家と榛澤評家設置の背景を探る(知久裕昭)
幡羅・榛澤評家は、7世紀後半に成立し、7世紀末頃には官衙施設が整備されていきます。中央においても、政治体制が大きく再編される時期であり、幡羅・榛澤評家跡は、地方行政における該期の変遷を辿ることのできる数少ない調査事例です。両遺跡の分析から、立評と評家の設置を通して、地方社会がいかにして律令による中央集権体制に組み込まれていくのか考えていきたいと思います。
第6回 須恵器から入間評と高麗郡の設置を辿る(加藤恭朗)
霊亀2年(716年)、古代入間郡の一部をさき、関東の7か国の高麗人を集めて高麗郡が建郡された。考古学の成果から、現在の日高市、飯能市を中心とした地域が高麗郡の郡域と考えられる。
どのような理由でこの地域に高麗郡が建郡されたのかは、明らかになっていないが、古代集落の動向や入間郡内の須恵器の流通などを通して、この課題にアプローチしてみたい。
第7回 那須国造碑解明に挑んだ黄門様の発掘(篠原祐一)
水戸黄門こと徳川光圀は、領内巡察のおり那須国造碑の存在を知ります。そこには那須国造である那須直韋提(なすのあたいいで)が那須郡の評督(こおりのかみ)になったことが記されていました。光圀は石碑を復元し覆堂で保護します。そして、碑文の主の墓を求め、日本で最初の学術調査となる下侍塚古墳の発掘を行います。今を去ること324年前のことでした。講座では、発掘の成果や最新の碑文解読の状況、那須地方の古墳や那須官衙・東山道など、古代の那須の知られざる歴史を解き明かします。
第8回 フィールドスタディー(坂本和俊)
古代史の世界では郡評論争と云う論争があった。論争の素材の一つ、郡に先行して評が置かれたことを示す史料として那須国造碑があげられる。その碑が安置されている笠石神社、水戸光圀が那須国造碑の解明のために発掘調査を行った上侍塚古墳、昭和40年代に発掘と整備がされた那須官衙遺跡、なす風土記の丘資料館を見学し、古墳・国造・郡司の関係を肌で感じて貰うことを目指したい。
備考
※フィールドスタディー当日はお弁当をご持参ください。資料館等の入館料は各自負担となります。詳細については講座内で説明します。また、当日は講座時間が通常とは異なりますので予めご了承ください。なお、当日の道路状況により、帰着時間が遅くなる場合があります。(観光バスを使用します。)
講師陣
名前 | 坂本和俊 |
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肩書き | 祭祀考古学会会員 |
プロフィール | 國學院大学大学院修士課程修了 文学修士。専門は日本考古学(弥生時代~平安時代の宗教的遺跡・遺物)。論文に「武蔵国北部の郡郷と式内社をめぐって」他。 |
名前 | 若松良一 |
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肩書き | 埼玉県教育委員会生涯学習文化財課主幹(さいたま文学館在勤) |
プロフィール | 法政大学大学院人文科学研究科日本史学専攻 文学修士。専門は日本考古学とくに埴輪を中心に、地域史(埼玉の中・近世・近代史)、文学。著書論文に『諏訪山33号墳の研究』他。 |
名前 | 山﨑武 |
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肩書き | 埴輪研究会会員 |
プロフィール | 國學院大学文学部卒業。専門は日本考古学(古墳時代)。著書論文に『考古資料大観4弥生・古墳時代 埴輪』(共著)他。埴輪研究会会員等で活動中。 |
名前 | 知久裕昭 |
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肩書き | 深谷市教育委員会文化振興課文化財保護係長 |
プロフィール | 明治大学文学部史学地理学科考古学専攻卒業。専門は日本考古学(古代官衙)。論文に「古代官衙周辺における柱掘方」他。埼玉考古学会委員として活動中。 |
名前 | 加藤恭朗 |
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肩書き | 坂戸市立歴史民俗資料館館長 |
プロフィール | 日本大学文理学部卒業。著書に『古代武蔵国入間郡家』(共著)。 |
名前 | 篠原祐一 |
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肩書き | 栃木県立なす風土記の丘資料館館長 |
プロフィール | 国士舘大学文学部史学地理学科考古学専攻。専門は祭祀考古学(神道)。著書論文に『季刊考古学』(監修)、「須恵器大甕祭祀」他。延喜式内社大前神社神職。 |