講座詳細情報
申し込み締切日:2017-05-11 / その他教養 / 学内講座コード:S11020S
「百人一首の魅力とその作者たち」〈7〉
- 開催日
- 5/12(金)~ 6/9(金)
- 講座回数
- 全5回
- 時間
- 14:00 ~ 15:30
- 講座区分
- 前期
- 入学金
- -
- 受講料
- 7,900円
- 定員
- 20
- 補足
※この講座の申し込みは既に締め切りました。
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講座詳細
世に「百人一首」といわれているのは、藤原定家(1163~1241)が、小倉山荘で百人の秀歌各一首を選び、百枚の色紙に書いたものが後に成書となり「小倉山庄色紙和歌」などと題せられて伝わるうちに誰言うとなく「百人一首」と呼ばれるようになったものである。王朝和歌の精髄を窮めた作品であり、中世以後広く愛され、現在も最も愛唱されている歌集といっても過言ではない。その和歌をまず古注も踏まえ鑑賞し、さらに定家はなぜこの歌を選んだのかを考えてみたい。さらにその歌の作者にまつわるエピソードや他の歌の作品を、さまざまな文学作品を通してみていきたい。
※初参加の方々も歓迎です。
【講座日程】
1. 5/12
( 88 皇嘉門院別当・90 股富門院大輔・92 二条院讃岐)
三人の女房歌人の恋の歌を見ていきます。海岸を背景にした恋の歌で、三首とも『千載集』に採られています。技巧の巧みさだけでなく当時の女性の恋の本質をとらえた平安時代末期の歌をまず上げます。
2. 5/19
( 91 後京極摂政前太政大臣・94 参議雅経・95 前大僧正慈円)
『新古今』時代の実力派の三歌人を上げます。まず古歌の情緒を採り入れ(本歌取り)また漢詩の世界も重ね合わせた複雑な情緒を詠んだ藤原良経と藤原雅経の歌、そして良経の叔父にあたり、『愚管抄』という史論をまとめた慈円(天台座主)の、公家にはなかなか及びもつかない正格な歌を見ていきます。
3. 5/26
( 89 式子内親王・93 鎌倉右大臣・96 入道前太政大臣)
専門家人ではない三人の歌を上げます。斎宮として神に仕えた皇女式子内親王は俊成・定家の指導を受けた女流歌人、また鎌倉幕府第三代将軍源実朝もその一人である。定家とその息為家のパトロンでもあり、承久の乱以後、京政権で絶大な権力を握った藤原(西園寺)公経と、御子左家と深く結びついた歌人を見ていきます。
4. 6/2
( 97 権中納言定家・98 従二位家隆)
いよいよ『百人一首』の撰者藤原定家と、当時から定家と実力を並び称せられた藤原家隆をあげます。両人とも『新古今集』の撰者でありますが、『百人一首』に採られている歌は次の勅撰集『新勅撰集』(定家撰)のもので、王朝美をより一層洗練して構築された両人の美の世界を見ていきます。
5. 6/9
( 99 後鳥羽院・100 順徳院)
『百人一首』の最後に置かれた二首は第82代天皇、後鳥羽天皇と、その皇子、第84代天皇、順徳天皇の両帝の歌です。ご両親とも承久の乱の後それぞれ陰岐と佐渡の島に流され、還京することなくその地で崩じました。定家はどうしても採り入れなければならないと考えた両帝の歌を見ていき、『百人一首』の最後とします。
※初参加の方々も歓迎です。
【講座日程】
1. 5/12
( 88 皇嘉門院別当・90 股富門院大輔・92 二条院讃岐)
三人の女房歌人の恋の歌を見ていきます。海岸を背景にした恋の歌で、三首とも『千載集』に採られています。技巧の巧みさだけでなく当時の女性の恋の本質をとらえた平安時代末期の歌をまず上げます。
2. 5/19
( 91 後京極摂政前太政大臣・94 参議雅経・95 前大僧正慈円)
『新古今』時代の実力派の三歌人を上げます。まず古歌の情緒を採り入れ(本歌取り)また漢詩の世界も重ね合わせた複雑な情緒を詠んだ藤原良経と藤原雅経の歌、そして良経の叔父にあたり、『愚管抄』という史論をまとめた慈円(天台座主)の、公家にはなかなか及びもつかない正格な歌を見ていきます。
3. 5/26
( 89 式子内親王・93 鎌倉右大臣・96 入道前太政大臣)
専門家人ではない三人の歌を上げます。斎宮として神に仕えた皇女式子内親王は俊成・定家の指導を受けた女流歌人、また鎌倉幕府第三代将軍源実朝もその一人である。定家とその息為家のパトロンでもあり、承久の乱以後、京政権で絶大な権力を握った藤原(西園寺)公経と、御子左家と深く結びついた歌人を見ていきます。
4. 6/2
( 97 権中納言定家・98 従二位家隆)
いよいよ『百人一首』の撰者藤原定家と、当時から定家と実力を並び称せられた藤原家隆をあげます。両人とも『新古今集』の撰者でありますが、『百人一首』に採られている歌は次の勅撰集『新勅撰集』(定家撰)のもので、王朝美をより一層洗練して構築された両人の美の世界を見ていきます。
5. 6/9
( 99 後鳥羽院・100 順徳院)
『百人一首』の最後に置かれた二首は第82代天皇、後鳥羽天皇と、その皇子、第84代天皇、順徳天皇の両帝の歌です。ご両親とも承久の乱の後それぞれ陰岐と佐渡の島に流され、還京することなくその地で崩じました。定家はどうしても採り入れなければならないと考えた両帝の歌を見ていき、『百人一首』の最後とします。
備考
※4名未満の場合は非開講になることがあります。
講師陣
名前 | 千葉 覚 |
---|---|
肩書き | - |
プロフィール | 専門は中世和歌文学。「和歌大辞典」(明治書院)、「古語辞典」(福武書店)の各項目を執筆。また「新編国歌大観」(角川書店)では「嘉元百首」を担当。「大和物語諸注集成」(桜楓社)では「大和物語解」を担当。論文では「鎌倉期歌壇における西園寺家の研究」(立教大学「日本文学」32号・36号)、最近では「建礼門院右京丈夫集」(「文教大学女子短期大学部紀要」最終号)を発表。また文教大学女子短期大学部文芸科や国士舘短期大学部国文科の講師を勤め「風物誌」などの民俗学なども担当する。その関係の論文には「七夕をめぐって」(文教大学女子短期大学部文芸科「文芸論叢」23号)などがある。元和歌文学会会員。 |