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遊学モニターレポート No.15

レポートNo.015 アジア史から見た日本古代史~聖徳太子から藤原純友まで
池袋から14分の東武練馬駅から徒歩3分。大東文化大学・地域連携センターでの公開講座「アジア史から見た日本古代 史~聖徳太子から藤原純友まで」の第14回「遣隋使と遣唐使」を受講しました。
古代に行ってみたい!
タイムマシンがあったら行ってみたいのは古代。特に、邪馬台国~倭の五王~聖徳太子~壬申の乱~南都・天平の間の大陸・朝鮮との関係。支配者層においては、現代よりも、もっと身近に大陸・朝鮮があったのではないかと思っています。
講座受講は、そんな古代を思い浮かべる楽しみの一環です。

先生は、生田滋大東文化大学名誉教授。
講座の総まとめとして、5回の遣隋使と、結局は中止された第20次遣唐使ま での意義を講義いただきました。詳しいレジュメと、聞きやすい声での朗々たる講義です。

そういえば、かつて学校で「遣隋使・遣唐使」を習った時、命の危険を顧みず に荒海を渡る理由を、不思議に思っていました。単なる「文化の輸入」に、命を掛けるのか、という疑問です。

遣唐使の意味を4期にわける
レジュメに紹介された文献を丹念に説明、解釈するなかで、先生から次のように、4期にわけた遣唐使の意味を紹介頂きました。

第1期 (第1次 630年~第7次 669年)
  大和朝廷が「百済」との関連において派遣した外交使節
第2期 (第8次 702年~第11次 746年)
  律令国家(=小中華)としての日本の華やかさの誇示と、積極的な唐文化(特に仏教)の摂取
第3期 (第12次 752年~第17次 779年)
  資源大国(金銀銅鉄)としての日本の「国威発揚」
第4期 (第18次 803 ~第20次 893年中止)
  外交関係の消滅
特に第1期において、新羅と唐の接近を妨害するために、第2次遣唐使が派遣された、という解釈や、 白村江の敗戦の後、その戦後処理(お詫び)のため第5次遣唐使という解釈を聞くと、まさに国家(大和朝廷)の存亡をかけた、命がけの派遣であったということが納得できました。当時の支配者層には、「海の向うから、唐の大軍が攻めてくるかもしれない」という、大変な恐怖があったのでしょう。

その後、第2期、第3期を経て、あの有名な菅原道真の建議により遣唐使が廃止され、公式の対外外交が消滅しました。生田先生は、まさにこの10世紀前半が、古代から中世へと時代が移る時期との先生の解釈を披露いただきました。
修了証が一人一人に授与されます!
私が受講した日は、ちょうどこの講座の最終日で、修了証の授与式が ありました。生田先生が一人一人に修了証を手渡ししながら、 「○○さん、ありがとうございました」と声を掛けられているのを見て、 このような先生のお人柄も、人気講座となっている理由の一つなのだろうと 思いました。

まとめ
講座終了後、受講させていただいたお礼に伺うと、 「公開講座とはいえ、講義レベルは大学院を目指しています。やさしいい 講座がいいというのは受講生を見下しています。」とのこと。

また、私達素人でも、各大学の先生の講座を聞いて、独自解釈の論文(又はレポート)を書けるのかという質問もしました(実は、私の夢なのです)。

先生いわく、「もちろん出来ます。私の講座では文献の読解も取り入れていますよ。
文献は今やインターネットでいくらでも入手できます。どのように解釈するか、生徒さんそれぞれが考え発表することは大変すばらしいことです。
自分の考えや思いをカタチにすることでは、フラワーアレンジメントと同じ。」 と勇気づけられる言葉を頂きました。

【生田 滋 先生 プロフィール】
大東文化大学 名誉教授
1935年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程(東洋史学専攻)修了 文学修士。
専門は前近代東南アジア史、大航海時代史、古琉球史。
現在大東文化大学名誉教授。沖縄県公文書館『歴代寶案』編集委員会委員、
元エクステンションセンター所長。著書論文に『大航海時代とモルッカ諸島』(中公新書)、
『東南アジアの伝統と発展』(共著 世界の歴史13 中央公論社)他。

【教室の場所】
大東文化会館 http://www.daito.ac.jp/exten/access.html

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